ジェンダー史学会第10回年次大会
事前登録案内

第10回ジェンダー史学会記念大会のご案内

 設立から10年目の節目の年を迎えるジェンダー史学会は、今年、12月7日、8日の両日、一橋大学にて記念大会を開催いたします。一日目には、記念講演者としてシンシア・エンロー氏をお招きし、シンポジウム「軍事化とジェンダー」を開催し、二日目には午前中に自由論題報告、午後にもう一つのシンポジウム「アジアにおける移動のジェンダー史」を開催いたします。

<会場案内>
会場:〒186-8601 東京都国立市中2-1 一橋大学
中央線国立駅南口より徒歩6分
両日ともに、一橋大学西キャンパス本館2階の教室を会場とします。
キャンパスマップの8番の建物です。
会場校連絡先: 貴堂嘉之 y.kido [at] r.hit-u.ac.jp

<事前登録について>(*重要) 11月27日までに登録をお願いします!
 例年は、会員のみなさまには、同報メールにて出欠確認をしておりましたが、本年度はウエッブ・アンケート方式にて、出欠確認をいたします。事前登録サイトから各シンポジウム、自由論題の部会、懇親会への参加の可否をご記入ください。
 また、今年は多くの非会員の方の来場が見込まれます。大会事務局としては、非会員の皆様の参加を歓迎しますが、資料準備の都合上、事前登録をお願いいたします。こちらも事前登録サイトから各シンポジウム、自由論題部会への参加の可否をご記入ください。なお懇親会への参加は、会員のみとなっております。ご了承のほど、よろしくお願いいたします。

<懇親会費の納入について>(*重要)
懇親会に参加するみなさまへは、別途、メールでもご案内申し上げますが、懇親会費は、大会当日の事務を軽減するため、今回は事前納入をお願いいたします。11月27日までに、下記の振替口座記号番号の口座へゆうちょ銀行備え付けの振込取扱票にて入金をお願いいたします。一般参加者4000円、院生参加者3000円でお願いします。振込手数料は各自でご負担下さい。また、払い込み後のキャンセルは受け付けませんのでご了承ください。ご協力のほど、よろしくお願いします。

ゆうちょ銀行口座番号:00190-9-586449
口座名称: ジェンダー史学会
納入締め切り:11月27日 
懇親会 日時:12月7日(土) 18:30~  会場:一橋大学西キャンパス 西生協カフェテリア
会費: 一般 4,000円 / 院生 3,000円 

ジェンダー史学会第10回年次大会での書籍販売申請について

書店・出版社さまで大会期間中に書籍販売される方は,書籍販売の申請に関わるご案内ページをご覧ください。

第10回ジェンダー史学会大会プログラム(2013)

12月7 日(土)・8日(日)一橋大学西キャンパス 本館 

12月7日(土)
受付開始 12:30~
記念講演 13:30~ シンシア・エンロー(クラーク大学) 
"How is Gender Militarized?: Investigating with a Feminist Curiosity "
シンポジウムA 軍事化とジェンダー 14:30~18:00
・平井和子(一橋大学・大学院) 「日本占領をジェンダー視点で問い直す-日米合作の性政策と女性の分断-」
・澤田佳世(沖縄国際大学) 「米軍占領と家父長制-「日本一」の出生率と沖縄の生殖をめぐる政治-」
・北原恵(大阪大学) 「脱軍事化した天皇身体と慰問するジェンダー-敗戦・被災の「危機」のなかで-」
・コメンテーター:シンシア・エンロー(クラーク大学)
懇親会 18:30~ 

12月8日(日)
自由論題発表 9:45~11:45
部会A
・発表者名:箕輪 理美 所属:一橋大学/デラウェア大学
発表題目:コムストック法成立後の19世紀後半アメリカ合衆国における自由、結婚、セクシュアリティ
・発表者名:三好 文 所属:一橋大学
発表題目:第一次大戦期におけるアメリカ赤十字社の女性看護師動員
・発表者名:佐藤 雅哉 所属:一橋大学
発表題目:1970年代アメリカにおけるフェミニズム運動と平和運動-フェミニスト平和運動家ベラ・アブズーグの事例から
部会B
・発表者名:上條 敏子 所属:藤女子大学
発表題目:女性の身体に対する侵害行為、特に性的暴力をめぐって-西洋中世の罪と罰から
・発表者名:鈴木 周太郎 所属:一橋大学
発表題目:アメリカ建国期における「女性の権利」論の興隆-環大西洋史の視点から
・発表者名:川島 慶子 所属:名古屋工業大学
発表題目:ランジュヴァン事件におけるマリー・キュリー批判とジェンダーの関係
部会C
・発表者名:松崎 瑠美 所属:東北大学
発表題目:近代国民国家の形成と大名華族家の女性
・発表者名:大橋 眞由美 所属:大阪府立大学
発表題目:〈欲望する主体〉の構築への誘い-『お伽絵解 こども』3巻6号(1906)に見る女児像
・発表者名:申 東洙 所属:立命館大学
発表題目:日韓新女性の恋愛観の研究
部会D
・発表者名:金 慶玉 所属:東京大学
発表題目:総力戦体制期における「戦時保育」研究-「戦時託児所」と「保育従事者」を中心に
・発表者名:増田 昭子 所属:日本民俗学会
発表題目:サイフを握った女たちの民俗-財の所有意識と消費のゆくえ

総会 13:00~13:45
シンポジウムB アジアにおける移動のジェンダー史14:00~17:30
・嶽本新奈(一橋大学・大学院)「境界を越える女性たち—海外日本人娼婦の表象を中心として—」
・広瀬玲子(北海道情報大学)「植民地支配とジェンダー―朝鮮における女性植民者」
・佐藤斉華(帝京大学)「女は動く、女が動く―ネパール・ヨルモ女性の移動の諸相」
・コメンテーター:青山薫(神戸大学)

大会参加費:一般参加1500円/会員1000円
院生(会員・非会員共通)500円 学部生 無料(学生証提示のこと)
懇親会参加費:4000円

【問い合わせ先】
〒186-8601 東京都国立市中2-1  一橋大学大学院社会学研究科 貴堂嘉之研究室
第10回ジェンダー史学会大会事務局 y.kido@r.hit-u.ac.jp

Contents・要旨

■シンポジウムA 軍事化とジェンダー (12月7日 14:30~18:00)
<主旨説明>
第10回記念大会のシンポジウムAは、フェミニスト国際関係論のパイオニアであるシンシア・エンロー氏の記念講演とともに、「軍事化とジェンダー」をテーマとする。戦後歴史学はアジア太平洋戦争における日本の加害責任を長年にわたり問うてきたが、日本では依然として「従軍慰安婦」問題などに対する政治家の妄言が跡を絶たない。こうした歴史修正主義が生じる背景には、単なる政治家個人の歴史認識のみならず、戦後の歴史学が依拠してきた枠組み-加害と被害の二分法や責任主体としての国家への焦点化、トランスナショナルな視座の欠如など-にも問題があったのではないか。仮にそうした陥穽があったのだとしたら、ジェンダー史はそれらをどのように乗り越え、新たな問題を提起できるだろうか。
戦争をジェンダーの視座から問い直す動きは、1990年代以降、国連をはじめとする国際社会において、女性に対する暴力が人権問題として積極的に取りあげられるようになったことと連動している。日本ではこれに1991年の韓国人元「慰安婦」女性らの訴えを受けて、戦時性暴力に対する日本の国家的責任を問う動きへとつながった。エンロー氏は、こうした国際的な運動にも大きな影響を与えてきたフェミニスト研究者であり、男性中心社会が生みだしたミリタリズムの罠にはまっていく「軍事化」した社会の現状に警鐘を鳴らすとともに、そこで女性たちが果たした役割と、分断され、敵対しあうよう仕向けられていく「策略」とを明らかにしてきた。日本の「戦後」をこの「軍事化」の視座から問い直すとき、そのジェンダー化された国家体制や社会秩序はどのように分析できるだろうか。こうした体制と一体化した暴力を問うことで、既存の「歴史」の書き換えを求めてきたジェンダー史は、占領期の歴史や日米関係を軍事化されたジェンダーの視座から問い直すことにより、新たな研究展望を拓くことができるのではないか。
 そこで本年度は、以下の三氏に報告をお願いした。第1報告では、平井和子氏が「日本占領をジェンダー視点で問い直す-日米合作の性政策と女性の分断-」と題して、「民主化」の成功モデルとされるGHQ占領史を問い直し、「軍隊と性」という側面から旧日本軍と連合国軍に共通する性質を浮かび上がらせ、軍事組織が内包するセクシュアリティの問題を追究する。澤田佳世氏による第2報告「米軍占領と家父長制――「日本一」の出生率と沖縄の生殖をめぐる政治」では、米軍統治下の沖縄という視座から戦後日本を相対化し、日本復帰までの沖縄における人口と生殖をめぐる政治を考察する。また、第3報告では北原恵氏が「脱軍事化した天皇身体と慰問するジェンダー――敗戦・被災の「危機」のなかで」と題して、戦前・戦中の軍服姿から一転し、戦後に脱軍事化を強いられた天皇とその家族の表象に焦点をあて、震災後の現在まで含む日本の戦後社会を検証する。以上の3報告に対しエンロー氏からコメントをいただき、フロアとも活発な議論を期待したい。

平井和子(一橋大学・大学院) 「日本占領をジェンダー視点で問い直す-日米合作の性政策と女性の分断-」
<第一報告 報告要旨>
 2001年の「9.11事件」に端を発する「対テロ戦争」で、イラク攻撃に際して、ジョージ・W・ブッシュ米大統領は、過去の数ある占領のなかから民主化の成功例として「日本モデル」を取り出し正当化しようとした。その際に、「女性解放のため」という理由が説得力を持ったことは、とりわけ日本のジェンダー史・女性史研究者へ挑戦を突きつけた。
総じて、アメリカによる日本本土占領は、「平和的進駐」で「非軍事と民主化」の「よい占領」であったという認識は日米で共有されている。しかし、これをひとたび、勝者-敗者の男性間で取引された女性たち(占領軍兵士へ「慰安」の提供をさせられた売春女性)の体験から見直せば、全く異なる占領風景となり、軍事占領と女性解放を安直につなげることの危険性が明確になる。
本報告では、敗戦直後のRAAや米軍進駐先につくられた占領軍「慰安所」、冷戦を背景にした「基地売春」の下での、「パンパン」と呼ばれた女性たちが強いられた性管理の実態から、これが日米男性合作による軍隊維持のための組織的性暴力であったことを明らかにする。加えて、この女性への構造的暴力に対して、廃娼運動家・女性国会議員・地域婦人会と、売春女性たちの間の分断と敵視が、結果として軍事化(日米安保・軍事基地)を支えることに貢献したことを、売春取締地方条例→売春防止法の成立過程から追ってみたい。そこに、女性を、「護られる女性」(=「良家の子女」)と、売春女性(=「転落女性」「特殊婦人」)に二分化する男性中心的な「策略」の罠を見る思いである。また、米兵の買春行為は、冷戦の激化や戦闘行為ともリンクし、軍事組織が売春女性を「活用」して、兵士の性をこそコントロールしようとしていることを見ていきたい。ジェンダーや女性同士の分断を越えて、軍事化の「策略」を解体する方向を参加者とともに探りたい。

澤田佳世(沖縄国際大学) 「米軍占領と家父長制-「日本一」の出生率と沖縄の生殖をめぐる政治-」
<第二報告 報告要旨>
 〈「日本一」の出生率を誇る子産みの「楽園」、沖縄〉――「少子化」がすすみ、家族と国民の再生産システムの「機能不全」に陥った日本は、「本土復帰」から40余年、「日本一」の高出生率を維持する沖縄の生殖をノスタルジックに脱政治化する。
一方、「日本一」高い沖縄の出生率には、米軍占領の歴史と沖縄の家族編成原理を貫く家父長制の政治が刻まれている。戦後米軍統治下におかれた沖縄では、米軍側の「軍事的中立主義」を背景に優生保護法は施行されず、刑法堕胎罪と国民優生法が効力をもつ中、「本土復帰」まで「健全者」の中絶や不妊手術は非合法、避妊や家族計画も積極的に推進されなかった。また、沖縄には厳格な父系継承主義を軸とする家族編成原理があり、女性は「男児を産む性/再生産者」として第一義的に定義づけられている。戦後米軍統治下で、沖縄の女たちは、妊娠すること/子どもを産むことを法的・社会的に「強制」されながら、厳格な父系継承主義のもと男児出産の強固な役割期待を生き抜いた。
本報告は、「日本一」の出生率という言説が捨象する、日本の「内なる外部」沖縄の生殖をめぐる政治を歴史化する。具体的には、米軍統治の時代を中心に、優生保護法なき沖縄の中絶と避妊、家族計画の戦後史をたどりつつ、沖縄女性の子産みの経験と家父長制的交渉の諸相を捉える。日本の「捨て石」にされた沖縄戦、サンフランシスコ講話条約による「切り捨て」、「極東の軍事的要塞」として米軍占領下におかれ続けた戦後27年――軍事化された日米関係、換言すれば日米支配の地政学は、沖縄の家父長制と共謀しながら、戦後沖縄の生殖をめぐる政治にどのような影響をあたえてきたのか。「国民国家・日本」という分析枠組を相対化し、沖縄の生殖の戦後史をひもとくことで、軍事化する「戦後日本」社会と日米関係のありようを再考することにつなげたい。

北原恵(大阪大学) 「脱軍事化した天皇身体と慰問するジェンダー-敗戦・被災の「危機」のなかで-」
<第三報告 報告要旨>
軍事化を急ピッチで進める現在の安倍政権下の日本において、被災地を慰問する天皇・皇后や皇族たちの活動は、2011年3月11日の東日本大震災以降、急激に目立つようになってきている。地震発生から5日後、天皇は国民に向けて見舞いの言葉を述べたが、それは天皇がテレビを通じて日本国民に直接話しかけた初めての出来事だった。大規模災害直後の被災地を天皇・皇后が見舞うようになったのは平成以降である。歴史的に天皇制と国家の「危機」に際して慰問し祈る天皇はいかに可視化されてきたのだろうか。
本発表では、1945年8月の敗戦後、「脱軍事化」を最も急激に迫られ、「民主化」「人間化」のもとに再編成された天皇と家族の身体表象と表象装置について分析する。天皇の平和主義者への急激な変身は先行研究でも指摘されてきたように、服装や和歌、儀式等を通したメディア戦略として展開し、①ジェンダーの境界を幾重にも横断する身体、②アメリカナイズしたライフスタイルや、老人化した身体など、ジェンダーや年齢の境界を横断するイメージの創作によって遂行された。それは「神格化された軍服の大元帥(戦前)vs人間的な背広姿の象徴天皇(戦後)」という単純な図式ではなく、ジェンダーを揺れ動く不安定な天皇の身体だった。また昭和天皇は、1946年2月から始まった戦後巡幸において昭和天皇は全国の国立病院などを訪問し傷病兵や被災者を見舞っているが、それまで専ら皇后や女性皇族の役割として描かれた「病院慰問」のジェンダーの変化にも注目する。国体護持を最優先課題として求められた天皇身体とはいかなるビジュアルとして提出されたのか。占領期に新しく登場した新天皇服や「ご一家」像、病院慰問などを分析することによって、現在進行中の天皇・皇后の慰問と祈りの機能ついても再考したい。平井和子(一橋大学・大学院) 「日本占領をジェンダー視点で問い直す-日米合作の性政策と女性の分断-」

主旨説明・司会 貴堂嘉之(一橋大学)・加藤千香子(横浜国立大学)
  コメンテーター シンシア・エンロー

■シンポジウムB アジアにおける移動のジェンダー史―主体性と隷属性の交叉にみる〈近代〉― (12月8日 14:00~17:30)
<主旨説明>
アジア諸地域の女性たちは、植民地化や貿易戦略、戦争といった情勢において、あるいは共同体に内在するジェンダー秩序の下、さまざまなかたちで移動を経験してきた。第二次大戦後、さまざまな文学や記録作品がこうした女性たちの存在を、伝統社会や侵略戦争の「犠牲」の物語のなかに描き出してきた。こうした物語がジェンダーの暴力を歴史のなかに見いだしてきたことの重要性は非常に大きい。
だが、移動する女性をまったき客体として想定することは新たな「他者化」の契機をはらんでいる。近年、社会学や文化地理学、人類学、政治経済学などの領域においておこなわれてきたジェンダー視点からグローバルな移動をとらえる研究は、「グローバル・サウス」としてのアジア諸地域の社会経済秩序が、欧米諸国や日本の侵略による植民地支配や開発主義と深く結びついていることを分析しつつ、そうした秩序において移動する女性たちのエージェンシーにも目を向けてきた。とりわけ婚姻や出産、セックスワーク、ケアなど、経済関係に移住女性たちの身体が組み込まれるようなケースをとらえるとき、「個」の作為にみえるものが、実際には複雑な権力関係の布置のなかで、ときに強制的に、ときに偶発的に成り立っていることが浮き彫りになる。なかでもエスノグラフィの手法にもとづき権力布置の構図に対する女性たちの交渉実践や、調査者に対する発話の政治を分析する研究は、主体性と隷属性を二分化する「研究者のまなざし」に潜む近代主義も暴露している。
本シンポジウムでは近現代アジアにおけるジェンダー化された暴力構造を意識しつつ、移動する女性たちのエージェンシーについて、主体性と隷属性をめぐる「研究者のまなざし」をふくめて再考することを目指す。
第一報告者の嶽本新奈氏は「身売り」と「出稼ぎ」の表裏一体性について考察した上で、近代化の過程で娼婦たちがいかに周縁化されてきたか、また「からゆきさん」表象を通じてこうした女性たちがいかにまなざされてきたかを分析する。第二報告者の広瀬玲子氏は、植民地朝鮮における植民者としての日本人女性たちの経験について素描するとともに、戦後彼女たちが自らの経験をどのようにとらえなおしてきたかをふまえ、植民地主義の解体(克服)の可能性について考察する。第三報告者の佐藤斉華氏は「結婚」、「出稼ぎ」、「移住」の3区分におけるヨルモ女性たちの移動をめぐり、その実現に絡む社会的諸力(特に女性本人のエージェンシー)と、複数の移動の重なり合いや相反について議論する。コメンテーターには、セックスワーカーとして来日するタイ女性らの移動経験に着目し、女性たちの主体性と隷属性の交叉を描き出した、青山薫氏を迎える。

嶽本新奈(一橋大学・大学院)「境界を越える女性たちと近代—海外日本人娼婦の表象を中心として—」
<第一報告 報告要旨>
海外で売春をしていた女性たちを指す「からゆきさん」という言葉が広まったきっかけに、山崎朋子の『サンダカン八番娼館』(1972)と森崎和江の『からゆきさん』(1976)を挙げることができる。「からゆきさん」研究の際には必ず参照されるもはや古典ともいうべき2冊だが、本報告では、元「からゆきさん」女性の聞き書きに基づいたこの2冊の差異にまず注目をする。2冊を比較検討することで著者の「まなざし」と立ち位置を明らかにしたうえで、歴史的な考察に入っていきたい。
具体的には、「からゆきさん」に常につきまとう被害者像と出稼ぎ者像が交錯する由来を、近世から近代までの公権力による人身売買の歴史と、買売春対策の観点からまず簡単に確認をした後に、開国以降、欧米の性規範と近代的家族観が流入してくる中で日本の「芸娼妓」像がどのような変容を被ったかを廃娼派と存娼派の言説から分析する。
結論めいたことを言ってしまえば、女性たちにとって身売りと出稼ぎとは表裏一体であり不可分なものであった。加えて、海外で売春を経済的営為とすることと国内で芸娼妓となる道すじは当時の人々にとってそれほど大きな隔たりがあるわけではなかった。しかし、欧米のジェンダー規範流入と国民国家建設に邁進する日本の言説空間の中で、国内の芸娼妓に対する意識が変化し、その「まなざし」は海外へと渡った女性たちへも波及していくことになる。最終的に、国内外の芸娼妓に関する言説と国家の政策とがどのような形で共犯関係を結び、海外にいる女性たちに作用したのかを検討し、ジェンダー化された暴力構造の一端を明らかにしたい。

広瀬玲子(北海道情報大学)「植民地支配とジェンダー―朝鮮における女性植民者」
<第二報告 報告要旨> 
1945年の敗戦まで日本帝国の支配は東アジア・東南アジア地域に及んだ。朝鮮半島もその一地域である。そこに約92万人の日本人が移動・定着して家族を形成し、植民地での特権的生活を送った。35年間の植民地支配の過程で植民者一世・二世(あるいは三世)という世代形成がなされた。本報告は、朝鮮で植民者として暮らした日本女性に焦点を当てる。被植民者に対し抑圧者・支配者であった女性に関する研究は少ない。報告では、女性たちのあり様を、①愛国婦人会の結成と活動を通して(一世の経験)、②京城第一公立高等女学校生としての生活(二世の経験)という二つの側面から素描する。朝鮮における愛国婦人会の結成は併合以前の1906年であり、それも内地の愛国婦人会結成と歩みを揃えて行われた。これは日本の支配層が植民地化推進に女性の力を不可欠としたことを示す。会は「文明化の使命」の理念を掲げ、朝鮮王室や両班階層の女性を多く巻き込んで活動を展開していった。朝鮮で生まれ育った女性たちは高等女学校生として「幸せな」学園生活を送る。それは「閉ざされた楽園」とでも形容しうるものであった。植民者としての日本女性たちの大半は、自分が支配者であるという自覚なしに生活するが、そこには支配を支配と感じさせない暴力、被植民者を不可視化する暴力が働いていていた。敗戦により、「自分が侵略者であった」とつきつけられ、引揚げたのちに、内なる植民地主義をいかに解体するのかが女性たちの課題となるが(これは国民全体の課題でもあった)、いまだに果たされたとは言えない。報告では少数ではあるがこの課題に応えようとする女性植民者の事例を紹介し、植民地主義解体の可能性について考察する。

佐藤斉華(帝京大学)
「女は動く、女が動く―ネパール・ヨルモ女性の移動の諸相」
<第三報告 報告要旨>
ネパール・ヒマラヤ南面のヨルモ地域を故地とするチベット系少数民族ヨルモにおいて、少なくとも半世紀以上に亘り「移動・移住すること」は生活・生計を構成する重要な要素であり続けてきた。とりわけ女性にとって、人生のある時期に生家を離れ婚家へと「移動する=結婚する」ことは、父系・夫方居住のヨルモにあって例外なく課される「さだめ」というべき事柄であった。その一方、女性は村の世帯の自給的生計活動・再生産活動の中心的担い手たることを期待されるがゆえに、また男性より厳しい性的規律を求められるがゆえに、その移動を制約されてきた面もある。
このようななか、南・東南アジア諸国の例にもれずネパールでもここ15年ほどの間に海外出稼ぎが飛躍的に伸び、ヨルモからも多数の男女が、従来からのインドに加え海外諸国へと飛び立っている。特に、ケア・ワーカーとしての女性労働力需要の増大に応じ、多数のヨルモ女性が海外諸国に出ていくようになった。彼女達が稼ぎだした財は多くの場合カトマンズでの住宅取得に投入され、家族のカトマンズへの(恒久的)移住のための資金となっている。都市の不動産として形成された新たな富は、父系で相続されてきたヨルモ世帯の伝統的な富である村の家・土地の財産価値を相対化する。家産形成における女性の目に見える貢献は、「動くべきもの」としての女性(娘)の世帯内地位を変化させる兆候にも繋がってきていると見える。
本発表は、フィールドワーク及びヨルモ女性を対象としたライフ・ストーリー・インタビューに基づきつつ、彼女達の新旧の移動・移住の三形態―婚姻、出稼ぎ、(カトマンズへの恒久的)移住―とそれらの相互作用、そして彼女達が「動く」ことの実現に絡む、女性本人のエージェンシーを含む社会的諸力の相互関係を解きほぐし、女性達の移動を通したヨルモ社会のジェンダー構成の変容の行方を展望する。

自由論題 (12月8日 9:45~11:45)
【 自由論題要旨 】

部会A

発表者名:箕輪 理美
所属:一橋大学/デラウェア大学
発表題目:コムストック法成立後の19世紀後半アメリカ合衆国における自由、結婚、セクシュアリティ

 本発表は、社会運動家として活躍したエズラ・ハーヴェイ・ヘイウッドとアンジェラ・ヘイウッド夫妻が唱えたフリーラヴ思想と、彼らが受けた1873年連邦郵便法に基づく検閲に注目することにより、19世紀後半のアメリカ合衆国における結婚やセクシュアリティをめぐるポリティクスを考察する。特に、本報告では、夫に比べて歴史家にこれまであまり論じられてこなかったアンジェラにも目を向け、既存の結婚制度や性的知識の検閲に対して彼女が提起したフェミニスト的批判を取り上げる。
 19世紀半ばからアメリカにおいて現れたフリー・ラヴは、結婚による女性の権利剥奪や自然な愛情の抑圧、また、結婚制度を通じた国家や教会による私的領域への介入を批判し、既存の結婚制度の改革もしくは廃止を訴えた。さらに、フリー・ラヴァーは、愛やセクシュアリティ、再生産といった話題について、より民主的で開かれた議論が行われる必要性を主張した。フリー・ラヴ運動は南北戦争前の1850年代に登場し、世紀転換期まで続いたと考えられているが、フリー・ラヴァーを取り巻く社会状況は南北戦争後に大きな変化を迎えた。1870年代初頭以降、YMCAニューヨーク支部のエージェントであったアンソニー・コムストックの指導の下に影響力を増していった社会純潔運動は、産業化の進む都市における道徳の退廃を非難し、特に彼らがこうした問題の原因だと考えた「猥褻」な出版物の撲滅を目指した。コムストックの精力的なロビー活動の結果、1873年連邦議会で成立した通称コムストック法は、猥褻な出版物および産児制限に関する器具や情報の郵送を禁止した。この連邦郵便法に基づき、コムストックは猥褻文書郵送の容疑で多くの著名なフリー・ラヴァー繰り返し逮捕・起訴したが、エズラ・ヘイウッドもこうした言論上の統制を受けたうちの1人だった。その結果、彼は1893年に亡くなるまでのわずか15年の間に、5回の逮捕と2回の懲役刑を経験することになった。
 南北戦争後のフリー・ラヴァーは、戦前の世代に比べて、性的な話題においてより率直な言葉を用いたという点に特徴があるとされている。ヘイウッド夫妻は運動内のこうした新たな好戦的姿勢をまさに体現する存在だった。エズラもフリー・ラヴや性教育、女性の権利の熱心な擁護者だったが、妻であるアンジェラはジェンダーやセクシュアリティの問題に関して、雄弁さでも大胆さでもエズラをはるかに上回っていた。夫婦は共に、女性は自分自身の身体への絶対的な所有権と性的知識へのアクセスをもたない限り、自由で自立した市民になることはできないというラディカルなジェンダー平等のビジョンを論じた。しかし、コムストックの執拗な追及が一家の暮らしや健康を害しただけではなく、ヘイウッド夫妻の議論に見られる微妙な変化はコムストック法がフリー・ラヴ運動全体に及ぼした深刻な影響も反映していた。つまり、この法律の制定以後のフリー・ラヴァーは、結婚制度への建設的な批判を行う以前にまず性に関する言論の自由を確保する必要性に迫られたのである。

発表者名:三好 文
所属:一橋大学
発表題目:第一次大戦期におけるアメリカ赤十字社の女性看護師動員

 本報告は、第一次世界大戦期に軍国化してゆくアメリカ合衆国(以下合衆国)において、アメリカ赤十字社(American Red Cross、以下ARC)が女性看護師を動員した際に交わされた指導者たちの議論や看護活動に焦点をあて、軍隊制度に女性看護師が組み込まれた過程を考察する。そして軍隊組織の一部としてARCの女性看護師に高度な専門知識と技術が求められ、そのための教育支援制度が作られたことに注目し、軍事制度そのものがアメリカ社会の女性看護師の専門職化に与えた影響を論じる。それによって第一次大戦という総力戦を通して、女性看護師の労働の意味が再設定されたことを明らかにする。
 第一次世界大戦はARCが大規模に女性看護師を動員した初めての戦争だった。合衆国建国以来、看護職は教養のない貧困層の女性が就く仕事として社会下層に位置づけられ、19世紀後半まで専門的技術や知識を有する看護師を養成する場はなかった。しかし南北戦争以降、医療技術の発展とともに、20世紀転換期には看護教育を受けた中産階級出身の女性看護師が急増した。合衆国政府がジュネーブ条約に調印し、赤十字社の設置を承認したのは1882年で、南北戦争で看護師として活躍したクララ・バートンがARCの総裁となった。しかしARCが政府と連携し全国組織として再編成するのは、1905年にバートンが総裁を辞職した後である。その後ARCは漸進的に軍隊との連携体制を整えながら非常時に備えた女性看護師の登録数を増やし、合衆国が第一次世界大戦に参戦するとともに大量の女性看護師を国内外で動員した。
 本報告は1905年から1920年代前半までのARCの女性看護師登録事業や看護事業の展開を考察する。ARCに登録した看護師が自動的に陸軍看護師団(Army Nurse Corps、以下ANC)の予備看護師となることが1910年に制定されると、ANCの看護師登録資格、つまり中産階級出身の白人で高度な専門技術や知識を持ち道徳的であること、がARCの登録看護師に求められた。しかしARCの管理体制の不備、戦中の看護師不足問題などが原因で、ARCの職業規範から逸脱した女性看護師もARCで働いていた。こうした女性看護師の存在は常に問題視され、女性看護師の能力を一定の水準に維持することが指導者層の看護師の課題であった。そして戦後は準政府組織として、ARCは市民が有事に兵士としての義務を果たせるよう公衆衛生事業の拡充につとめ、女性看護師により高度な知識や技術を求めた。
 20世紀初頭の合衆国の女性看護師に関する先行研究は、主に女性看護師と男性医師との不平等な関係性や、女性が看護職に就く意味について考察してきた。陸軍看護師団やARCの看護師として働いた女性に注目した研究は、女性看護師が軍隊内の男性兵士との平等や既存の女性規範からの離別を目指していたと論じた。しかしこれらの研究は軍隊という特殊な環境を考慮に入れず、専門職の地位向上による女性差別の克服の試みに注目しているため、軍隊組織内で看護職が専門職化されることの意義が明らかではない。そこで本報告は国立公文書館に所蔵されているARCの内部資料、年次報告書、ARCの雑誌を用いて、準政府組織として軍隊と協力していたARCの女性看護師に注目し、指導者層女性看護師が理想とした労働規範を考察することで、女性看護師が軍国主義国家の一員となったことを論じる。

発表者名:佐藤 雅哉
所属:一橋大学
発表題目:1970年代アメリカにおけるフェミニズム運動と平和運動-フェミニスト平和運動家ベラ・アブズーグの事例から

 本研究は、アメリカのフェミニスト平和運動家ベラ・アブズーグの活動を検討することを通じて、アメリカの第二波フェミニズム運動と平和運動の関係性を考察することを目的とする。フェミニスト学者らは、NOW(the National Organization for Women)による軍隊における両性の平等の要求などを論拠にして、「女性問題」と「平和」は切り離されてきたことを指摘してきた。本稿は、この二つの争点のかい離の過程において、中東紛争を巡る国内外における闘争が重要な位置を占めたことを指摘する。そして、中東紛争をめぐる政治を通して、冷戦的言説がアブズーグに代表されるリベラル・フェミニスト平和運動家の内部にも浸透していったことが、平和運動と第二波フェミニズム運動との不安定な関係性の要因のひとつとなったと本報告は論じる。このように、国外における紛争がアメリカの女性解放運動および平和運動に与えた影響を考察することで、本報告を1970年代のアメリカの社会運動の展開を世界史的文脈に位置づける試みの一つとしたい。
 1920年にユダヤ系移民二世としてニューヨーク市に生まれたアブズーグは、学生時代から政治運動に積極的に参加し、二次大戦後には弁護士として反人種主義運動に関わった。1960年代には「反」反共主義の立場から冷戦的硬直性を批判した女性平和運動団体であるWomen Strike for Peaceに参加し、ソ連との軍拡競争やアメリカのヴェトナムにおける軍事行動を激しく批判した。1970年に連邦議会下院議員に当選すると、議会における反戦勢力として活動する一方で、フェミニストとして中絶の合法化やERAといった問題に積極的に関わった。 1967年の6日間戦争以降の中東における緊張の高まりは、彼女のフェミニスト平和運動家としての立場を揺さぶった。多くのユダヤ系を自身の選挙区に抱える連邦議会議員として、アブズーグは合衆国政府や議会に対し、イスラエルに向けての武器援助を含む積極的な支援を求めた。このような姿勢は、アメリカの女性平和運動の一部や第三世界諸国の女性たちなどから批判の対象となった。これに対して、アブズーグは、冷戦的なレトリックをもって答えた。彼女は、イスラエルへの武器援助はソ連によって武装強化されたアラブ諸国から守るために必要であると論じたし、第三世界の女性たちは共産主義者やアラブ・ナショナリストにコントロールされているとみなした。1950年代に吹き荒れた反共主義の流れは、大衆基盤の社会運動の出現やヴェトナムにおけるアメリカの失敗によって後退し、1970年代のデタント(雪解け)へとつながっていくものの、デタント政策は右派勢力による強固な批判にさらされ、1980年代のレーガン政権期には強硬な冷戦政策へと回帰していく。イスラエルの頑強な支持者ではあったものの、アブズーグは中東や他の地域における紛争の平和的解決を常に模索した。しかし、東南アジアに代わってアメリカ市民と合衆国の外交政策上の主要な関心として中東が立ち現れる中で、中東紛争は、アブズーグを含むフェミニスト平和運動家たちに、1970年代における冷戦の言説の温存と1980年代における復活という過程において、左派の立場から一定の役割を与えることとなったのである。

部会B

発表者名:上條 敏子
所属:藤女子大学
発表題目:女性の身体に対する侵害行為、特に性的暴力をめぐって-西洋中世の罪と罰から

 ヨーロッパ中世の罪と罰に関するてがかりとしては、6世紀に成立したとされるサリカ法典をはじめとするゲルマン部族法典がある。さまざまな部族法典を読んでみると、これらの法典が、中世において犯罪と考えられた種々の逸脱行為を列挙して、罰則としての課金とともに記したものであることがわかる。また部族法典で扱われている犯罪の中には、「誰か人が女性の胸にさわった場合」のような、わかりやすい身体侵害行為のほかに、「誰か、ひとが女性の腕をとった場合」のように、それが犯罪かと思われる行為までもが含まれていて驚かされる。
 そこでここでは、部族法典のなかからサリカ法典をとりあげ、その具体的文言をてがかりに、ヨーロッパ中世において、女性の身体に対する侵害行為がどのように規制されていたかをみていく。
 中世ヨーロッパにおいて、共同体成員のまえで読み上げられる法律であった部族法典は、略取や婦女暴行の前段階における、婦人の腕に手をかける行為を、略取そのものに匹敵するほどきびしく罰している反面、婦女暴行それだけをとりあげそれに対する処罰を明示した条項を欠いていた。しかし、部族法典においては、女性の手に触れる行為、指に触れる行為までもが、罰金刑をともなって禁止されていたことから、女性の身体への侵害行為は、ゲルマン部族の間では、古来から厳しく罰せられていたとみるべきであり、ほぼ13世紀以降の書かれた文書における、レイプへの死罪の適用は、これまで考えられてきたように、厳罰化の結果ではなく、古来の法意識の単なる文字化にすぎない、とみなければならない。12,3世紀を境に、ヨーロッパ社会では、法曹が、禁欲を課せられた独身聖職者、修道士でしめられていくようになるが、それにしたがって、性的経験のないものにも、それがどのような犯罪かがわかるように記する必要がうまれ、「暴力を伴う」「相手の意志によらない」といった説明的文言とともに、性犯罪が明記され、明示的に死刑が要求されるようになるのである。
 伝統社会が要求してきた厳しい処罰は、女性が性犯罪の加害者に報復する機会として認めてきたハンデつき決闘におけるハンデのつけかたや、著名な文学作品のなかの文言にその傍証を認めることができるが、まとめるなら、以上より、インド=ヨーロッパの集合心性は、女性に対する暴力行為を語るにおちる犯罪とし極刑を求めてきた、と結論することができる。

発表者名:鈴木 周太郎
所属:一橋大学
発表題目:アメリカ建国期における「女性の権利」論の興隆-環大西洋史の視点から

 アメリカ合衆国の建国期、特に1790年代は「女性の権利」が様々な場所で言及され、実践された時代であった。本報告はこの時代になぜ「女性の権利」が注目され、そしてすぐに議論されなくなったのかを、当時の政治や社会の国際的な動向、特にフランス革命と関連づけながら考察する。
 本報告ではまず、女性についての議論をめぐる大西洋を越えた思想の交流について考察する。メアリ・ウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』やスザンナ・ローソンの『アルジェの奴隷』のアメリカにおける受容を見ることによって、英国からアメリカに「女性の権利」論が流入していった過程を検討する。アメリカ政治思想史研究においては、英国急進派ホイッグやスコットランド啓蒙の思想が建国期の政治に大きな影響を及ぼしたことは、長い間議論されてきた。本報告ではこのような英国との思想の交流のなかに、女性をめぐる議論を位置づけていく。そのためにアメリカ都市部の書籍の輸入業者や出版業者、特にアイルランド出身でフィラデルフィアで出版業を営んでいたマシュー・ケアリーの記録を検討していく。
 次に、この時代のアメリカ政治における党派対立と「女性の権利」論との関係について、フランス及び英国との外交問題を軸に考察する。ウルストンクラフトやローソンの著作の出版人および支持者とその批判者を見ると、そこにフェデラリストとリパブリカンという党派対立が反映されていることがわかる。例えばウルストンクラフトの著作がフィラデルフィアにおける反フェデラリストの急先鋒として活動していたケアリーによって大量に出版された背景には、彼女がまずフランス革命支持者として人気を博していたことがある。ローソンの女性賛美の劇への批判と擁護も、フェデラリスト対リパブリカンあるいは親英対親仏という政治的立場と重ねあわせることができる。こうした過程を見ると、党派的立場が先にあり、「女性の権利」をめぐる思想は政治・外交の対立のなかで確立していったことがわかる。このような党派対立と女性についての議論との関係を明らかにしていく。
 最後に本報告は1790年代末に急激に「女性の権利」論が言論の領域で後退していったことと、アメリカの市民の間でフランス革命への共感が突如として薄れていった現象とを重ねあわせて論じる。1800年代以降、女性と家庭性を結びつける議論が特に女子教育論の中で復活するなど、「女性の権利」論の「後退」が起こった要因の一つとして、アメリカ人の「フランス離れ」があったことを指摘する。

発表者名:川島 慶子
所属:名古屋工業大学
発表題目:ランジュヴァン事件におけるマリー・キュリー批判とジェンダーの関係

 ランジュヴァン事件とは、1911年の秋から冬にかけてマスコミを騒がせた、マリー・キュリーとポール・ランジュヴァンの不倫疑惑事件である。当時キュリーは女性初のノーベル賞受賞者(1903年度物理学賞)であり、フランス初の女性大学教授。ランジュヴァンは、彼女の亡き夫にして共同研究者ピエールの教え子で、パリの物理化学学校の教授。そして四児の父でもある既婚者だった。ランジュヴァンの妻とその母が、この二人の科学者の間に交わされた手紙をマスコミに持ち込んだことから、世間は大騒ぎとなる。この渦中に発表されたキュリーへの二度目のノーベル賞(化学賞)の授与に際しても、事件の余波が見られるほどであった。
 これは「キュリー夫人」の伝記の中ではながらく隠蔽され、第二波フェミニズムの機運の中で再発見された事件でもある。じっさい、この事件には第二波フェミニズムのスローガン「個人的なことは政治的である」という主張がきわめて明瞭に現れている。キュリー自身は「私的なことは科学と無関係」として、いかなる批判にも屈せず、ノーベル賞を辞退せよとまで言う人々の声を無視してストックホルムの式典に臨んだ。しかし、この事件の中で展開された批判も賞賛もすべて、当時の政治・社会的状況と切り離して考えることはできない。
 マスコミ報道に接して最初に気がつくことは、「科学」と「女性」という組み合わせが、当時の社会にとっていかに異端的に映っていたかということである。そしてマリー・キュリーの支持者たち、つまりこの二つの要素を結びつけようという人や組織は、国家主義的な記者たちにより、「反教会」「反フランス」というレッテルが貼られてゆく。中でも非常に興味深いのは、キュリーに対する敵意が激しければ激しい記事ほど、その敵意が科学そのものへも向けられてゆくことである。こうした批判の中では、通常は「男の領域」であり、「男らしさ」の象徴ともされる科学が、フランスの伝統を破壊し、男女の「正しい」あり方を否定する唾棄すべき対象となる。科学は(第一波)フェミニズム同様、彼らの敵なのだ。こうして、伝統的家族の破壊者ある渦中の二人が、共に科学者であることは偶然ではなくなるのである。
 そういう意味では、ランジュヴァン事件はまさに科学のジェンダー的二面性を象徴する事件である。実はこの年の始め、男性の牙城であったパリの科学アカデミーは、「女性である」という理由でマリー・キュリーの入会を拒絶した。しかしその当の科学はまた、この学問のもうひとつの特徴である「中性的」という側面から、男性性を脅かす存在にもなり得るのである。科学が「男性を等身大にしか見せない鏡」となるとき、それは伝統的な男たちの敵となる。そしてマリー・キュリーは、こうした「悪しき科学」の象徴であった。本発表は、こうした視点から、ランジュヴァン事件におけるマスコミの言説を分析する試みである。

部会C

発表者名:松崎 瑠美
所属:東北大学
発表題目:近代国民国家の形成と大名華族家の女性

 本発表は、明治維新という政治的・社会的大変革の流れの中で、旧大名家の「表」と「奥」のジェンダー秩序や女性の地位・役割はどのように変化したのか、近世・近代移行期における連続性と変容について、旧薩摩藩の大名家で近代では華族家となる島津家を事例として考察するものである。島津家の系図、家憲、当主の回想録、当主夫妻に対する追想録、執事日誌、家庭教師の日記、邸宅の間取り図、地方新聞などを使用し、国家・社会、旧藩領、家(家族)レベルに着目して分析を行った。また、島津本家と同様に華族であった島津分家の都城島津家の明治期・大正期・昭和期における執事の日誌を分析することで、島津本家の結果を補完した。
 近代において島津家は、近世において担っていた政治権力を失ったが、明治期の島津家では、当主の保守的な性格や家庭から分離しない形で個人事業を経営していたことにより、「表」の機能・規模を政治から個人事業経営へと変化・縮小させることで、空間的にも制度的にも「表」と「奥」の近世的ジェンダー秩序を引き継いでおり、使用人の職制も「表」と「奥」で分かれ、当主に関する情報の伝達は、家令が男女の使用人にそれぞれ伝え、女中が島津家の子ども達に伝えた。そして、東京に移住した明治後期に、顧問たちの改革により、西洋式の近代的生活様式へと転換した。
 近世において島津家の正室は、夫と共に幕府と政治性を帯びた音信・贈答の儀礼という対外的役割を担っていたが、近代に入ると近世のような政治性を帯びた儀礼は見られず、天皇家との音信・贈答は姻戚関係に基づく私的なものであった。妻は、家においては家政の評議に関与することができず、当初は幼当主の後見人の役割を担い得たものの、大正期になると幼当主の後見人となる権限も失われ、女中が多岐にわたる家事を担い、男性教育者が子供の教育に携わることで、妻の家レベルの役割は家庭内再生産領域へと収斂していった。一方、近代になっても旧大名家と旧領民との情緒的関係は維持され、妻は夫と共に旧領民への経済的支援、旧薩摩藩関係者の行事への参加や、第二次世界大戦時における旧領民への励ましを行った。そして社会においては、華族・軍人の妻として社交を通して、国家に貢献する役割を果たした。旧領民との関係は、都城島津家でも見られ、近世に引き続き、当主夫妻の旧領民への結婚報告や、当主夫妻と旧家臣夫妻との贈答儀礼が行われていた。
 このように、大名華族家の女性は、近世における一つの藩と幕府の関係のみに貢献する役割から、近代になると華族・政治家・軍人の妻として社会活動や社交を通して、国家に貢献する新たな社会的役割を果たすことになったが、華族女性が一般女性の生活様式や意識の面に与えた影響についても考えたい。

発表者名:大橋 眞由美
所属:大阪府立大学
発表題目:〈欲望する主体〉の構築への誘い-『お伽絵解 こども』3巻6号(1906)に見る女児像

 太平洋戦争時に於いては、「欲しがりません勝つまでは」の標語が掲げられた。この標語は、これ以降の戦時の展開に於ける国民の服従を示すものとして、一般的には理解されている。しかしこの標語が成立する前提として、国民に於いては、それまでに様々な欲望が高まり、家庭生活のみならず国家運営にも係るような〈欲望する主体〉が構築されていた、とも考えられる。
 ところで記憶や心のプロセスは、個人的なものではなく、集合的なものであり、様々なメディアに配分されて、社会を構成する、という考え方がある。この社会構成主義に於いては、言語は、世界をありのままに写し取るものではなく、人々の関係性の中で意味を賦与されものであり、私達の生活を形作り、未来をも創造する、と考えられている。
 本研究は、社会構成主義を援用して、第一に、近代日本の幼年用メディア(絵本・絵雑誌)に見る〈欲望する主体〉の構築を誘うような表象を調査すること、第二に、そのような表象と子どものジェンダー秩序構築の関係性について検討することを目的とする。その方法として、近代日本に於いてメルクマールとなる幼年用メディアから〈欲望する主体〉の構築を誘うような表象を抽出し、表象分析を行い、その意義を検討する。
 未だ文字の読めない幼年の読者(子ども)と幼年用メディアが出会う時には、選書や購入、読みを介助する媒介者(大人)が必要となり、媒体を介した媒介者と読者の関係性がうまれる。絵を主体とした幼年用メディアに於いては、表象の意味解釈、すなわち「絵解き」(語り)は、直截的な文字によって表現された言葉の意味解釈よりも、媒介者の積極的解釈を可能にする。近代日本に於いては、媒介者が良妻賢母教育を受けた母親であったならば、家庭で読まれた幼年用メディアは国策に準じた家庭教育の教科書、母親はその教師になった、と考えられる。
 本発表では、国定教科書の使用開始年であり、日露戦争の開戦時でもあった年に創刊された『お伽絵解 こども』(1904.4-1911.11推定)を取り上げる。この誌は、絵を主体とした幼年用絵雑誌の嚆矢と見なされており、当時の人びとの興味関心を映し出している。
 この誌3巻6号(1906.9)5頁の標題「貞ちゃん」では、「貞ちゃん」と名づけられた幼い女児が、兵士人形を指し出す少年に対して〈頂戴のポーズ〉をとっている。このような女児像を取り上げる理由は、第一に、男性に向けて手を差し出す女性の〈頂戴のポーズ〉は、ジェンダー秩序を構築する重要な表象として指摘できるからである。第二に、それは、先行研究では全く触れられていない、一見受動的に見える女性像の多義性として、男性の意識や行動を誘発する女性の欲望に関する表象と見なせるからである。このような理由から、「貞ちゃん」に見る関係性を読むことを通して、幼年用メディアに見る〈欲望する主体〉の構築を誘うような表象の意義を検討する。

発表者名:申 東洙
所属:立命館大学
発表題目:日韓新女性の恋愛観の研究

 近代日本において女性たちの自我の叫びが社会的衝撃を与えたのは、1911年に発行された『青鞜』を通してである。この時期『青鞜』の女たちは、近代日本の支配イデオロギーである天皇制を日常的に支えた家制度と、戸主とそれを支える妻というジェンダー秩序に抵抗する反逆の意思を、「女性」と「性」をキーワードとして提示した。
 『青鞜』は女性の時代を切り開くために創刊された。女性の連帯によって、男性中心社会が強いる良妻賢母主義に異議申し立てを行い、女性の自己解放を呼び掛ける形式は斬新なもので、大きな反響を呼び、新たな知と生の可能性を求めて葛藤していた女性たちの心を揺さぶった。
 また、『青鞜』の意義は、何らかの既成の主義に基づいてではなく、自分自身の体験から噴出してきた言葉を、女性たちが率直にぶつけ合い、性と生に関わる様々な論争を行ったところにある。中でも「貞操」論争、「堕胎」論争、「廃娼」論争は家制度を守るために女性に「貞操」の遵守を要求し、「堕胎」を禁じ、他方男性の欲求を充足するために家制度の外に公娼制度を容認するという、性の二重規範を抉り出し、画期的であった。
 一方、韓国の1920~1930年代は日本の植民地下で政治的?経済的?社会的制約が強まる反面、近代的思想と文物が輸入されて、思想から生活全般に至るまで著しい変化が起きた時期である。新しい思想と生活方式などは主体的に受容されて家族倫理や結婚、離婚など、日常的な生活文化に至るまで深刻な新旧の対立が起きながらも近代的な新しい文化が韓国に影響を与えていた。
 韓国女性の生活変化に西欧の近代文化という歴史的経験によって獲得した女性解放の思想は大きな意味を持っている。それを、身を以って受容して実践した人たちが当時の新女性である。
 大部分が留学生であった新女性たちは留学地で植民地朝鮮では学ぶことができなかった専門的な近代的知識を身に着けることができた。直接西欧文化を体験した留学生よりは数的に圧倒的に多かった日本で留学した女子留学生は、日本を媒介にした西欧文化と遭遇して、それらを朝鮮の現実と比較して朝鮮の旧来の社会と思想を改造すべき対象として捉えるようになった 。
 近代に入って1920~1930年代には欧米の恋愛論や結婚論が主に日本を経由して朝鮮に紹介された。それは恋愛が家父長制の束縛から逃れて`個の確立′のための一つの過程であり、女性の自由拡大と密接な関連があると捉えたからである。この時期に紹介されたのは主に日本を通して入ったエレン?ケイやコロンタイの恋愛論であった。特に当時の朝鮮の結婚制度や離婚制度、女性のセクシュアリティなどの改革を主張する時に、エレン?ケイの『恋愛と結婚』に基づいた自由恋愛論と自由離婚論は強力な理論的根拠になった 。
 このような西欧の自由恋愛と自由主義思想を通して両国の新女性は女性解放を表現しようとした。特に、女性解放の議論として「性の自己決定権」と「貞操論争」、そして「同性愛」を挙げて、この三つの観点から日韓の新女性の類似性と相違点を明らかにする。
 しかし、成熟してない近代的意識と伝統との衝突、また違う国家的状況によって両国の新女性は違う様相を見せていたのである。

部会D

発表者名:金 慶玉
所属:東京大学
発表題目:総力戦体制期における「戦時保育」研究-「戦時託児所」と「保育従事者」を中心に

 日本は、総力戦体制期に政治・経済・社会・文化など様々な分野において、大きな変化があった。総力戦の根幹であった「国家総動員法」は、長期戦遂行のために、人的及び物的資源を統制・運用する広範な権限を政府に与えた。
 戦争が長期化するにつれ、前線で戦う男性のかわりに、家を守り、職場を守る女性の銃後の役割が重要性を加え、女性は国の資源として捉えられた。その分、女性の出産と保育という家庭内の問題が国家の未来と関連する、国策に組み込まれて国家は本格的に「戦時期人づくり」の基礎段階に介入するようになった。この段階で、人口政策や健民政策と関連する女性の出産と育児による報国という使命が重視されるようになった。それは総力戦という名の下で、子どもを産み、育てることも国のためにやらなければならぬ時代として、其々の個人すらも国家により統制・管理されることになったことを意味していた。
 1941年1月に閣議決定された「人口政策確立要綱」には、「東亜諸民族に対する指導力を確保」し、「他の諸国を凌駕」することによって最終的には「大東亜共栄圏」を建設することが目標であることが示されていた。この目標を達成するため、単に出生の増加と死亡の減少だけをはかることではなく、「次代皇国民」の育成にも全力を注いだ。その一環としてまず行われたのが、1941年3月1日、国民学校令の発布である。この令により国民学校は、日本帝国の未来を担う次世代の国民育成の基盤として新しく位置づけられた。それとともに幼稚園や保育園も「予備国民学校」としての活躍が期待され、注目を浴びるようになった。特に国をあげて実施された「戦時託児所」は、戦争を勝ち抜くために、一方においては銃後の努めとして生産増強を、他方においてはたくましい次代皇国民の育成を、という二つの調和を保って行われた。
 本稿では「大東亜共栄圏」の建設という最後の目標を達成するために、「少国民の資質向上」をはかる方法として取っていた「戦時保育」がどのように展開され、行われていたか、その担い手として「保育従事者」は何を求められ、どのような役割を果たしていたのかを検討する。この観点より接近する際、総力戦時期における「戦時保育」が 平時の保育とどのような部分において差があるか明らかにすることができると思う。

発表者名:増田 昭子
所属:日本民俗学会
発表題目:サイフを握った女たちの民俗-財の所有意識と消費のゆくえ

 どんなにわずかな小銭であっても財産の内である。その財産を近代日本の女たちは持っていたのであろうか。持っていたとすれば、そのわずかな財産を持った女たちは、その財をどのように消費したのであろうか。
 民俗調査を通して女たちの財産のありようを探っていくのがこの論文の主旨である。
 民俗学の成果の一つとして「ホマチ」「ワタクシ」という女性にも私的財産が認められていたという説がある。たとえば「ホマチ田」といえば個人所有の田んぼで、そこから得た収穫物、および換金された金銭は所有者の財産で、自由な消費が可能であった、というものである。また、漁村では、夫や息子たち男が海に出て魚を得てきて、その魚を販売するのは妻であったから、女たちも自由裁量の金銭、つまり財産を持っていたと語られてきた。
 しかし、本当に農村におけるホマチ田を持っていた女は一般的であったのであろうか、また漁村の妻たちは行商で得た金銭を自己の自由な消費に充てることができたのであろうか。
 実は、古くから女性の財産はさまざまな形で存在していた。服藤早苗氏等の研究によって、女性の財産権は次第に狭められてきた歴史が明らかにされてきた。さらに、近代において民法によって剥奪されていった経緯が明確になっている。それ以後、多くの地域における農村の女性たちは、ほとんど金銭に接することができない暮らしを余議なくされていたのが実情であった。
 しかし、民俗学の研究で明らかにされたホマチやワタクシとは別に、岐阜県の白川郷におけるシンガイは、当地域の大家族制のもとに制度化されて、有効な女性たちの財産を確保してきた例もある。
 福島県只見町大倉集落のアジア・太平洋戦争後に行われた新生活運動の活動を通して、女たちのサイフとはどのような内実を持ったものであり、実質的に獲得していった財産は、いつ、どのようにして獲得していったものであろうか。
 この地域にはワタクシという私的財産を表す言葉が残っているが、実態は必ずしも金銭の私的な所有を認めていたわけではない。新生活運動のグループが書き残した記録と聞き書きをもとに、女性たちの私的財産、つまりサイフを手にしていく過程を追っていきたい。そして、サイフを手にしたとき、女性たちはどのような消費行動に向かったのであろうか。その研究過程で得られたのが、一軒の家には三種類のサイフの存在である。三種類のサイフは、第一に、動産・不動産を含めた家の財産=家産、第二に、日々の暮らしを支えている家計、第三に、ワタクシと呼ばれた家族員の個人の自由裁量できる金銭、に分けられよう。この第三のサイフであるワタクシが女性たちによって獲得されていく過程が今回のテーマである。どのような時代に、どのような契機で可能になったか、を明確にしたい。

ジェンダー史学会第10回年次大会自由論題研究発表の募集

2013年5月1日

ジェンダー史学会第10回年次大会は、2013年12月7日(土)および8日(日)に、一橋大学西キャンパスで開催されます。

1日目には講演会およびシンポジウムAを、2日目の午後にはシンポジウムBを開催する予定です。
2日目(12月8日)午前の部(10時~12時)は、自由論題による研究発表を、会員の皆様から個人とパネルの2形式で募っております。

研究発表をご希望の方、またはグループは、2013年6月15日(土)までに下記の要領で大会運営委員会までお申し込み下さい。

1.形式
①個人 (時間:発表20分、質疑応答10分)②パネル(時間:発表、質疑応答を含め60分、時間の配分、パネリスト数など自由)
2.申し込み方法エントリーシートに必要事項を記入の上、電子メールまたは郵便(申し込み締切日消印有効)で大会運営委員会までお申し込み下さい。
3.司会個人発表につきましては、大会運営委員会で準備いたします。パネル形式の場合は、発表グループの方でご準備下さい。なお、研究発表の採否につきましては、2013年7月7日(土)までに、電子メールまたは郵便で通知させていただきます。時間の制約その他の事情により、やむを得ずお申し込みにお応えできない場合もありますことを、あらかじめご了承下さい。第10回年次大会の開催にあたり、運営全般にわたって皆様方のご協力を賜りますよう、このご案内かたがたお願い申し上げます。

2013年度エントリーシート(word) 2013年度エントリーシート(pdf)

【申し込み先】
〒166-8532 東京都杉並区和田3-30-22 大学生協学会支援センター内 
ジェンダー史学会事務局 ジェンダー史学会第9回年次大会運営委員会 宛

e-Mailgenderhistory3@kkh.biglobe.ne.jp
(* メールアドレスはgenderhistory1ではありませんのでご注意ください)

ジェンダー史学会シンポジウム「歴史のなかのセクシュアリティ」

1.シンポジウム・テーマ
「歴史のなかのセクシュアリティ―同性愛/性的指向の比較文化史」

≪企画趣旨≫
 セクシュアリティは重要な人権の1つである。近年の国際社会では、ジェンダー主流化の流れに即して性的指向にもとづく差別を禁止し、セクシュアル・アイデンティティを保障する動きが強まっている。同性婚や同性間パートナーシップを合法化する国も増えた。しかしながら、セクシュアリティの権利を抑圧する差別や暴力が消えたわけではない。今回のシンポジウムでは、セクシュアリティに関する多様な問題群のなかでも、とくに権利をめぐる変化が著しい同性愛の問題に焦点をあてたい。 
 セクシュアリティ規範は宗教や文化と深く結びついている。国家や共同体などの公権力もまたセクシュアリティの管理に強い関心を抱いてきた。セクシュアリティが婚姻や生殖(再生産)の問題とつねに不可分だからである。しかしながら、キリスト教社会やイスラム教社会とは異なり、日本では異性愛主義が法規範として貫徹されたわけではない。ただし、それは性愛や性的指向の権利を認めてきたことを意味しない。今日の日本は近隣のアジア諸国と比べてもジェンダー主流化が著しく立ち後れ、セクシュアリティの多様性を尊重する社会にはほど遠い。このような原因はいったいどこにあるのか。
 シンポジウムでは歴史学・法学・文学のそれぞれの視点から同性愛を含む性的指向や非異性愛の意味づけについて論じ、将来への展望を拓くための手がかりを探りたい。

2.開催日
・2013年6月8日(土)13:00~17:00
・場所:奈良女子大学 文学系S棟(南棟)2階 S235教室
  http://www.nara-wu.ac.jp/map/accessmap.html

3.プログラム

  12:30 受付開始・開場
  13:00-13:05 開会挨拶・総合司会 野村鮎子
           (奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター長:中国文学)

  13:05-13:30 三成美保
           (奈良女子大学:ジェンダー法学・ジェンダー史・ジェンダー法史学)
           「同性愛の位相-歴史学と法学のコラボから見えてくるもの」 
           (著書『ジェンダーの法史学―近代ドイツの家族とセクシュアリティ』
            勁草書房、2005年)

  13:30-14:00 木村朗子
           (津田塾大学:日本古典文学・日本文化研究・女性学)
           「性愛を規制するものはなにか―摂関期宮廷社会の性の配置」
           (著書『恋する物語のホモセクシュアリティ-宮廷社会と権力』
            青土社、2008年)

  14:00-14:30 内田雅克
           (東北芸術工科大学:男性史)
           「ウィークネス・フォビアとホモ・フォビア」
           (著書『大日本帝国の「少年」と「男性性」-
            少年少女雑誌に見る「ウイークネス・フォビアー」』
            明石書店、2010年)

  14:30-15:00 谷口洋幸
           (高岡法科大学:国際人権法)
           「国連システムにおける同性愛/性的指向と人権保障の展開」
           (共編著『性的マイノリティ判例解説』信山社、2011年)

  15:00-15:10 休憩(質問用紙回収)

  15:10-15:30 コメント1 田野大輔(甲南大学:ドイツ現代史)
           (著書『愛と欲望のナチズム』講談社選書メチエ、2012年)

  15:30-15:50 コメント2 二宮周平(立命館大学:家族法)
           (著書『家族と法―個人化と多様化の中で』岩波新書、2007年)

  15:50-17:00 討論 
            司会:長志珠絵(神戸大学:日本近代史)・

鈴木則子(奈良女子大学:日本近世史)

4.共催
奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター
ジェンダー法学会関西部会

5.茶話会
 シンポジウム終了後、ラウンジ(文学部S棟(南棟)1階)にて茶話会を開催。受付にて参加希望者から実費500円を徴収。

6.託児システム
 「奈良女子大学イベント託児システム」を利用
 ・生後3か月~小学校6年までの子どもが対象
 ・大学の保険制度あり(利用者の負担はなし)
 ・2週間前に「託児申し込み締め切り日」を設定
 ・個別託児(1対1の保育)土曜なので時給800円
 ・集団託児(2人以上の保育サポーターによる保育)時給1300円と1000円
 ・当日、利用者負担

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