第2回 ジェンダー史学会大会プログラム

日時 11月27日(日)
場所 中央大学多摩校舎3号館

自由論題

部会A 進行(河添 房江)(3551教室)
10:00~11:00 パネル「女が絵を描くということ--日本近代における女性と美術の社会史的考察」
報告 小川知子/吉良智子/山崎明子
コメンテーター 小勝禮子
11:00~12:00 パネル「日本中世の物語/視覚表象と社会的想像力―ジェンダー史の視座に立つ分析と解釈の実践」
報告 稲本万里子/木村朗子/池田忍

部会B 司会および進行(小檜山ルイ)(3453教室)
10:00~10:30 磯部香 「明治期の女性雑誌『女鑑』における男性像」
10:30~11:00 林葉子「女たち/男たちの廃娼運動」
11:00~12:00 「男性知識人はなぜ女性を論じたか―雑誌『新女性』(1926-1929)を分析対象として」報告 Hsu Hui-chi 許 慧琦/Jin Jungwon 陳姃湲

部会C 司会および進行(高橋 裕子)(3454教室)
10:00~10:30 宇野知佐子「ルーサー・ハルシー・ギューリックとYMCA体育事業」
10:30~11:00 北原零未「フランスの新たなカップル形態『パックス』」
11:00~12:00 パネル「ジェンダーの視点から見る天皇制と宗教」
司会兼報告 岡野治子
報告者 源淳子/薄井篤子/奥田暁子

総会 1:00~2:00(3551教室)
シンポジウム 2:00~5:00 (3551教室)
テーマ: 国民形成と「兵士」―近代日本の男性性とポリティクス

司会 加藤千香子、池田忍
細谷実 兵士的国民化と男性性の水脈
大日方純夫 「帝国軍隊」の確立と「男性」性の構造
海妻径子 男性性構築回路としての「女性の国民化」 -さらなる 「帝国のフェミニズム」論展開のための試論
斉藤綾子 兵士の表象に関する一考察

懇親会 5:30~7:00 (1410教室)

【要旨】
自由論題

部会A  10;00~11:00
パネル「女が絵を描くということ?日本近代における女性と美術の社会史的考察」(代表山崎明子)
本パネルは、日本の女性美術家および美術を学ぶ女性たちに関する3人のパネリストのリサーチをもとに、日本近代における女性と美術の関係を社会史的に考察するものである。
女性美術家は、男性美術家に比して極めて少数であるが、近年の諸研究は女性たちが必ずしも芸術活動と切り離されていなかったことを明らかにしてきた。このことは、歴史記述において女性の存在が軽視・無視されてきた多くの事例と同様である。確かに女性の美術家は少ない、しかし興味深いのは大正から昭和初期にかけて都市化する社会において芸術活動は女性たちに奨励されていた点である。
本パネルでは、まず女子美術学校という女子のための美術の専門教育の場を取り上げ、女性が画家になるということの意味とその背景にある社会状況について論じる。特に東京の女子美術学校の教授として長く教鞭を取り、多くの洋画家を育ててきた足助恒を中心に、女性が美術と関わる一つの形を示す。足助は神戸女学院を卒業後、家族の反対を押し切って女子美術学校で洋画を学んだ。その後は同校に残り、ほとんど展覧会にも出品しないまま、女子への美術教育に専心した。洋画を学ぶことを受け入れる家庭環境に育たなかった足助が、生涯を通じて芸術活動に携わることができたのは、「教師」という立場が大きかったと思われる。次に、女性美術家が生まれる特徴的な場である「家庭」における女性と美術の関係を論じる。ここでは大阪で活躍した日本画家の島成園を取り上げる。家庭環境は男女を問わず画家となるための大きな素因と考えられるが、特に学校教育での美術家育成のための制度が未成熟であった地域の女性の場合、「画家の娘」であることの意味は大きい。父と兄に絵を学んだ島成園は若くして文展入選を機に名声を博し、自らの画塾で後進を育成する。だが、結婚を機に画壇の第一線を退き、忘れられていく。そして最後に、美術を学びながらも画家とならない不特定多数の女性たちの状況について、情操教育の観点から論じる。少数の成功した女性美術家は、しばしば自ら画塾を開いた。その一つの例として、神戸の洋画家亀高文子の画塾「赤艸社」がある。この画塾は、洋画の塾でありながら画家の専門教育を行なってはいない。中産階級の少女たちの情操教育、また近代建築に似合う美しい花の絵、商業都市における男性の経済的ネットワークとその娘たちの教育と文化、これらの結節点に赤艸社があるといえる。
いずれのパネリストも、近代日本の社会状況を概観しながら、東京・大阪・神戸を拠点に活動した特定の女性画家を取り上げる。女性のための美術教育は圧倒的に都市部が優位である。それは男性の場合と同様に、学校教師となるか、画塾を経営するか、パトロンを持つか、という美術家が糧を得る方法が市場原理として組み込まれた場であるからである。さらに、女性が美術家となるためには、画家の娘として生まれるか、女子美術学校や画塾に通うかという、やはり都市に特有の生育歴を持つ必要がある。これらの観点から、女性美術家の問題を近代の都市との関連で読み解く試みはこれまで例がない。
以上のように、「女性が絵を描く」という行為が、いかなる社会的要請と女性たちの描く欲望との間で位置づけられ、女性たちの創造活動へと結実したのか、また描くことを断念したのかということを、それぞれのリサーチ結果をもとに明らかにする。

11:00~12:00
パネル「日本中世の物語/視覚表象と社会的想像力
―ジェンダー史の視座に立つ分析と解釈の実践―」(代表池田忍)
本パネルでは、日本の中世前期に成立した文学テクスト(物語)と視覚表象(絵巻・神像)とを手がかりに、過去の出来事・伝承にかかわる情報や記憶が、当時の社会状況と切り結びながら、どのように再構成され、語り継がれたかを検証する。物語や造形作品の分析によって浮かび上がるのは、語られる「過去」の「史実」や「実態」ではない。物語や造形作品においては、語る「現在」のジェンダー秩序や、社会階層間・社会集団間の対立・抗争、力関係に参照しつつ、言語と造形の喚起力を駆使し、喩(メタファー)を用いて、別様の主張がおこなわれている。それらは、ある時期に、特定の人々によって、彼らの生きる社会の現実的諸条件に対して想像/創造された「表象」として読み解かれるべきである。中世の権力者たちは、物語や視覚表象の操作を通じて、直面する「現実」と交渉し、「危機」を乗り越えようとしてきた。本パネルにおいては、三つの事例を取り上げ、物語と視覚表象が伝えるメッセージやイデオロギーの読解を提示する。
一番目に取り上げるのは、軍記文学として知られる『平治物語』に取材した合戦絵巻である。この絵巻において、合戦の只中で傷つく女性の身体は、乳房や断片化された足などが強調され、言わば性を刻印するかたちで表される。また、敗者の妾であった「常盤」は、画中の武士の性的「視線」にさらされる。女性のみならず、男性の身体表象においても、身分や帰属する集団の差異や序列に応じて、ジェンダーが付与される。合戦絵巻における、ジェンダーや、セクシュアリティの視覚的強調は、鎌倉中期の上層貴族のアイデンティティの再定義、再構築と深くかかわっていたと考えられる。
二番目に、海幸彦山幸彦の記紀神話をもとにした「彦火々出見尊絵巻」を取り上げる。龍王から授けられた潮満の玉と潮干の玉を使って兄を服従させた尊には、兄崇徳院を倒した後白河院のイメージが重なり、龍王の姫君の特異な出産場面から、建礼門院の出産を契機に制作されたものと読み解くことができる。兄弟間の闘争というメインテーマの一方で、龍王の姫君は、尊の訪れを待ち、装い、身籠もり、出産する存在として表象される。白い乳房を露わにした姫君の身体は、欲望の視覚化であるとともに、平安末期の貴族社会において、女性たちに期待されていた〈家〉と〈血〉の連続性を固定化するために機能していた。
三番目に、源氏の守護神として知られる八幡神は、軍神でありながら、なぜ女神のイメージを持つのかについて、八幡三神像と八幡縁起をみながら検討する。今に伝わる八幡縁起は、13世紀末に、元寇の脅威にさらされて国家的要請のもとに再編制されたものである。神功皇后の新羅征討譚と重ねられて、八幡神の霊験は中世に称揚された。それは、そのまま侵略戦争における論理と結び合い、たとえば、神功皇后が「新羅国の大王は日本の犬なり」などの文言が戦時に利用されることとなった。しかし、中世における神功皇后イメージは、軍事征討のそれと必ずしも一致しない。八幡三神像を読み解くことで、中世の八幡信仰を正しく見据え、女神イメージについて考察する。
以上の個別研究を基に、ジェンダーの視座に立つ表象研究の方法と解釈を提示し、歴史・文学・美術の諸領域を横断する共同研究の深化を目指して問題提起をおこないたい。

部会B
10:00~10:30

磯部 香「明治期の女性雑誌『女鑑』における男性像―女性の語りを中心に―」
『女鑑』は明治24年から明治42年まで約18年間と長期間にわたって発行されていた女性向けの雑誌である。『女鑑』は政府の欧化政策の批判・反動の中で創刊した。特徴としては「良妻賢母」を強調し、創刊当初は「女権拡張」に対して批判をしている雑誌である。
本研究の目的は、そのような『女鑑』において女性が男性をいつ頃から語り始めるのか、またどのように語るのかという変遷を男性像の書かれている記事を抽出することにより明らかにする。
分析対象は、『女鑑』の全体像を掴むために、明治25年~明治41年の季節ごとの行事が比較的少ないと考える6月号を対象とした。先行研究を参考にし、そして様々なジャンルの中の内容を考慮し、読者の投稿、その当時の生活、習慣等が多く掲載されている「雑報」を分析対象と定めた。さらに、女性に対しての啓蒙色が強いという『女鑑』の性質を考慮し、男性像と同様に女性像の変遷についても考えることとした。
分析方法は、『女鑑』の全体像を把握するために6月号17冊の(全ての)ページ数、構成比、男女執筆者比を割り出した。次に男性像及び『女鑑』の要求する女性像を抽出するために、「良い男性/悪い男性、良い少年/悪い少年」、「良い女性/悪い女性、良い少女/悪い少女」と「雑報」の記事を分類することにした。そして分類された記事の出現頻度を把握し、記事内容を調べた。さらに、6月号において男性像及び女性像が抽出できた「雑報」の前後の号、年代の「雑報」も遡り、下りながら同様に調べた。
以上の方法より男性像、女性像の出現及び変化している時期は以下のように分類できた。男性像の時期は、明治32年から明治34年(第一期)、明治39年から明治42年(第二期)に時期を区切ることができた。女性像が出現する時期は明治26年から明治36年に区切ることができた。この結果、以下の2点が明らかになった。
1点目は、第1期の明治32年から明治34年の男性像においては「孝子」、「奇特な少年」として賛美される。「悪い男性」、「悪い少年」は確認できなかった。第2期は、明治36年頃から女性執筆者が「雑報」に出現し、明治39年から僅かであるが5人の女性執筆者によって男性が語られるようになる。またその内、4名が明治41年以降自らの体験談をまじえて身近な男性像を語るようになる。女性たちの書いた記事内容は身近な夫に対しての素行の悪さ、頼りなさである。
2点目は1点目と同様に、明治26年から明治36年おいて女性も「貞婦」、「孝女」、「奇特な少女」という名のもとに「良い女性」、「良い少女」が賞賛の対象となった。「悪い女性」のみ2例確認でき、「悪い少女」に関しての記事は確認できなかった。
補足として「孝子」、「貞婦」等の記事の執筆者は編集人と考える。性別に関しては明治30年の新聞紙条例・出版法緩和まで編集人印刷人は男性でなければならないことから大半の編集人は男性と推測する。しかし、「孝子」、「貞婦」等というような賛美される記事が抽出できるのはどの性別の執筆者がどのように語るのかを超えた、国家レベルでの政策が要因であると考える。

10:30~11:00

林葉子「女たち/男たちの廃娼運動??矯風会と廓清会の比較から」
廃娼運動史はこれまで「女性史」として記述されてきた。しかし、芸娼妓はたしかに女性であっても,その女性たちへの働きかけを行った廃娼運動の側には,男性も多かった。先行研究においては,廃娼運動におけるジェンダーの問題は重視されず,一枚岩的な「廃娼運動家」像が描かれてきたが,本報告では,廃娼運動史にジェンダーの視点を導入し,日本基督教婦人矯風会(以下,矯風会と略記)と廓清会との比較において,廃娼運動史を再検討する。
矯風会を女性団体とみなし,廓清会を男性団体とみなすといっても,矯風会の機関誌である『婦人新報』には男性執筆者の名前が見られ、廓清会のメンバーリストには女性の名前が見られるため、厳密には、女性団体と男性団体とが区別されていたとはいえない側面がある。しかし、廃娼運動が運動の当事者によって歴史として回顧されるとき、婦人矯風会が「婦人」の運動として、廓清会が「男子の会」として記述されているということを重視したい。(久布白落実「廃娼八十年の歩み」、有泉亨編『売春』河出書房、1955年)。少なくとも当時の女性運動家の側から見た場合、矯風会と廓清会という両団体のありかたの差異は、ジェンダーに関わるものとして受け取られていたのである。
本報告が用いる資料は、主に矯風会の機関誌『婦人新報』と、廓清会の機関誌『廓清』の二誌である。廓清会が発足した1911年以降、『廓清』の最終刊が発行された1945年 3月までを研究対象として(註:『婦人新報』は、現在にいたるまで発行され続けている)、両誌が取り上げたテーマの相違、また両誌が同じトピックを論じている場合について、その論じ方の相違について考察する。具体的には、両誌で描かれた芸娼妓イメージの相違、男性性欲についての論じ方の相違、産児制限運動との関わり方、優生思想との関係、が主なテーマとなる。
報告者はこれまで久布白落実(矯風会のリーダー)、および安部磯雄(廓清会のリーダー)について、それぞれの廃娼思想を中心に研究してきたのであるが、本報告は、その久布白と安部との比較研究を発展させたものである。


11:00~12:00

パネル「男性知識人はなぜ女性を論じたか――雑誌『新女性』(1926~1929)を分析対象として――」(Hsu Hui-chi代表)
中国女性史における五四新文化運動の意義は、西洋文学と思想の積極的な輸入によって、かつて女性に抑圧的だった中国社会規範が基づいていた儒教価値観が、ここでようやくくつがえされはじめたことにあろう。注目に値することは、西洋フェミニズム論の翻訳紹介にせよ、伝統的な儒教文化や社会制度に対する批判にせよ、婦人解放を主張する五四新文化運動の言説が、ほとんど男性青年知識人たちを書き手として生み出され、また男性青年知識人たちによって読まれていたことである。言い換えれば、五四時期にかつてなかったほどの飛躍的成長を遂げたとされる中国の婦人解放論は、実際には女性を疎外した場で形成され消化されていたのである。とすれば、男性知識人たちは、「女性」を通してなにを見出していたのだろうか。さらに、五四時期の中国知識人たちはなぜ女性を疎外したまま、「婦人解放」を積極的に論じる必要があったのだろうか。
本研究は、以上のような問題意識をふまえて、五四新文化運動の機運が終盤を迎えつつあった一九二〇年代後半における女性論のもつ時代的意味を、雑誌『新女性』を対象にジェンダー的に読み直す試みである。分析対象となる雑誌『新女性』は、章錫?と周建人など五四新文化運動の代表的な女性論者が主軸とする婦女問題研究会によって、一九二六年から一九二九年まで刊行された月刊雑誌である。注目すべき点は、この『新女性』というメディアが、発刊趣旨や編集方針はもちろん、執筆人の人脈や読者層にいたるまで、五四新文化運動期に婦人解放を訴える論調で大きい成功を収めた雑誌『婦女雑誌』を継承していた点である。
上海商務印書館という大手出版社によって一九一五年に創刊された『婦女雑誌』は、一九一九年を境に当初の「良妻賢母主義」に基づく刊行物から、進歩的な女性論を積極的に討論する園地へと変身することで、かつて五四新文化運動の潮流に乗り込むことに成功した。しかし、ベストセラとして時代潮流を追い続けるために取られただけの「婦人解放の鼓吹」という『婦女雑誌』の編集方針は、五四新文化運動と明暗をともにするほかなかった。行き過ぎた進歩主義に対する反省として復古主義が台頭しはじめた一九二六年にもなれば、かつてこのような論調を主導した進歩的な編集者たちはすべて更迭され、『婦女雑誌』は再度保守的な論調に引き戻されたのである。進歩的な女性論を討論しつづけられる場を用意するために、『婦女雑誌』に代わって男性知識人たちは新たに『新女性』を創刊した。換言すれば、五四新文化運動の機運が色あせしだした一九二〇年代後半において、男性知識人たちはなお女性を語り合いつづける必要性を持ち続けたのである。
『婦女雑誌』と比較してみれば、『新女性』は三年という短命に終わったのみならず、その発売部数や影響力も相当限られていたといわなければならず、出版史上語らずに通ることのできない存在である開明書店が当誌を前身にしていた文脈を除けば、今まで女性論やジェンダー論的に注目されることは殆どなかった。本研究はこのような研究史を反省し、『新女性』を、五四新文化運動の衰退から国民党執権による復古主義の台頭といった過渡期における進歩的女性論の表現とみなし、その時代的意味を再考することを試みる。特に『婦女雑誌』を対象に五四時期の女性論の持つジェンダー的な構造――女性を排除したまま構築されていった女性論――先行研究、許慧琦「『婦女雑誌』からみる自由離婚の思想とその実践――ジェンダー論の視点から」及び陳?湲「女性に語りかける雑誌、女性を語りあう雑誌──『婦女雑誌』一七年略史」(ともに村田雄二郎編、『『婦女雑誌』からみる近代中国女性』(2005年、研文出版)に収録)の研究成果に続けて、五四新文化運動が終息を迎えつつあったと同時に、国民党執権時期でもあったこの時期に、男性知識人たちが『新女性』というメディアを通して討論していた女性論の意味を、ジェンダー的視座をふまえて、出版メディア史(陳)、そして西洋及び日本女性論からの影響(許)の両面から読み解く。

部会C
10:00~10:30

宇野知佐子「ルーサー・ハルシー・ギューリックとYMCA体育事業‐前世紀転換期における身体・キリスト教・ジェンダー」
本研究は、ルーサー・ハルシー・ギューリックのYMCA体育事業を考察することにより、前世紀転換期におけるアメリカ人の男性性がどのように構築されていたかを論じたものである。当時の帝国主義政策とセオドア・ローズヴェルト大統領による「精力的な人生」の奨励、東欧・南欧からの新移民の大量流入が白人ミドルクラスに与えた脅威と、彼らのひ弱さの証明と考えられた神経衰弱という病気や同性愛という「異常な男性のアイデンティティ」の発見などに加え、女性化されていく傾向を憂い、「マスキュラー・クリスチャニティ」という筋骨たくましいキリスト教を支持していた当時のキリスト教界の動きなど、男性の身体的強さが様々な領域で問題とされた当時のアメリカ社会を背景に、ギューリックが追求した理想の男らしさを分析する。
ルーサー・ハルシー・ギューリックは、1865年12月4日ホノルルで生まれた。両親や兄弟は宣教師で、ギューリックもまた宣教師となるべくアメリカで教育を受けるが、体育への関心を高め、紆余曲折しながら自らの進むべき道を宣教師ではなく体育職に見出し、1918年8月5日52歳で亡くなるまで、後に「体育の先駆者」と呼ばれるほどの多くの業績を残した。1886年にYMCAで初めて職を得てからYMCAを去る1900年までの間に、ギューリックは、かつてはYMCAで軽んじられていた身体や体育事業を最も重要な事業のひとつに変え、身体と精神を切り離して考えるキリスト教の伝統的な考え方からYMCAを解放し、身体(body)、知性(mind)、霊(spirit)を意味するトライアングルを考案し、理想的な男らしさの体現者としての体育指導者を養成した。また彼は男らしさ形成の有効な手段として競技スポーツを重んじ、彼の部下に命じ、身体と人格の両方を育成するための新しいスポーツとしてバスケット・ボールを発明させた。さらにより早い段階から男らしさ形成に着手する必要を主張して、少年事業を推進した。このようなYMCAにおけるギューリックの「男らしさ形成プロジェクト」における業績をたどり、彼の追求した男性性とそこに働いていた権力や政治学を考察する。
ギューリックの体育事業はまた、当時の同性愛の問題を考えるうえでも重要な材料ととらえることができる。設立当時、YMCAはキリスト教精神を基盤とする青年のための青年による組織で、田舎から出てきた青年を都市の誘惑や堕落から保護し、その信仰生活を応援することを目的としていた。このように「男性」「キリスト教」が組織の重要なキーワードだったYMCAは、現在では体育施設、宿泊施設の供給などを主な事業としているが、一方で同性愛の牙城と呼ばれている。しかし実際には同性愛の問題はギューリックの時代から存在していた。生殖を伴わないセクシュアリティを「性的倒錯」ととらえていた当時の風潮の中で、「体育の先駆者」と呼ばれ、大成功をおさめたギューリックが追求した男らしさは、同性愛にどのような影響を与えていたのか。YMCAにおける男性のセクシュアリティの構築のされ方が、現在までも続く同性愛の傾向を導き出したのはなぜか。ギューリックの体育事業を通してこれらを問題にすることは、YMCA研究における新しい試みであり、意義深いものと考える。

10:30~11:00
北原零未「フランスの新たなカップル形態『パックス』」
パックスとは1999年にフランスで成立・施行された法律であり、国家によるカップル認知法である。或る2人の人間が互いをパートナーであると認め合う為に、結ぶ契約であり、極めて簡単な言い方をすれば、パックスは同棲・事実婚と婚姻との中間に位置するカップル形態なのである。一応結婚に準じるカップル形態であり、国家が認知するものである以上、事実婚よりは法的権利があり、同時に義務もある。但し権利も義務も結婚程ではない。
パックスの特異な点は、締結する際に、当事者2人が契約書を作成する点である。この契約書には、日常生活に関する細かい取り決めから、パックス解消の際の財産分割に至るまで、何でも自由に盛り込むことができ、2人の合意の下、いつでも変更可能である。
パックスは結婚とは異なり、一定の条件を満たせば、同性同士でも締結可能であることから、日本では同性愛認知法の枠組みで語られることが多く、その為、同性愛者達の為の法律と思われがちであるが、これは決して同性カップルのみを対象としているわけではない。近年欧米では同性愛認知法の成立が相次いでいるが、パックスはそれらとは成立過程から根本的に異なるものである。
フランスは一般に漠然と抱かれているイメージに反して、女性の解放が極めて遅かった国である。女性に対する法的規制が完全に撤廃されるのは90年代に入ってからである。しかしフェミニズム運動の高揚もあり、実際には女性の社会進出は70年代から始まった。社会進出、経済力獲得に伴いフランス女性達も徐々に結婚を忌避し、事実婚を選択するようになるが、事実婚が一般化するにつれ、結婚のみに許された様々な法的権利を事実婚カップル達も求めるようになる。こうした要求と、同性愛者達の要求に一度に応える形で施行されたのがパックスであると私は考える。それ故に、どちらの要求に対しても十分に応えることができず、極めて中途半端な内容になっており、数々の限界を孕んでいる。例えば、そもそも同性愛者達のみを対象としているわけではないことから、諸外国の同性愛認知法と比べるとその内容は貧弱である。何より同性・異性を問わず、パックスに認められた権利と婚姻のそれとには大きな乖離がある。パックスは2人の間の契約であって、その子供には何らの権利を保証しない。つまり法は2人の間に生まれた子供を「2人の子」として認めず、非嫡出子である。また、財産の面でも、どちらか一方が死亡した際、残されたパックス・パートナーに自動的に遺産が行く、結婚のようなシステムはない。子供の面でも財産の面でも結婚は優遇されたシステムなのである。このように結婚との間に格差を設けられていることから、パックスはかえって結婚の「神聖性」を強調することになるのではないかと私は懸念している。
しかし多くの限界を抱えてはいるものの、社会情勢の変化に応じて、事実婚でもなく結婚でもない新たなカップル形態を模索した点は評価できるのではないかと考える。さらに、本来パックスはカップルの為のものであるが、実際には、特に同性愛者でもない、伴侶をなくした高齢の女性同士が、互いを人生のパートナーとし家族となる為に利用するという例も出て来ている。このように、パックスは利用の仕方によってはこれまでとは違った家族形態を可能にし得る可能性も秘めている。

11:00~12:00

パネル「ジェンダーの視点から見る天皇制と宗教」(代表奥田暁子)
日本に入ってくる宗教はどれも日本化する傾向があります。私たちは天皇制が深く関わっているという仮説を立て、それぞれの宗教と天皇制との接点を探り、ジェンダーの視点からその解明を試みたい。
欧米のフェミニスト神学者によって始められたフェミニスト神学が日本に紹介されたのは80年代はじめであるが、それ以後、日本でも宗教をジェンダーの視点から見直す動きが出てきた。宗教界全体から見れば、それはまだ小さな活動にすぎないが、キリスト教界でも仏教界でもその試みは進行中である。
フェミニズムは概して宗教に批判的である。それは多くの宗教が持つ性差別的女性観のためである。宗教は本来、性別、人種、階層に関わりなく、すべての人に解放と救済のメッセージを伝える思想であったはずだが、いわゆる世界宗教といわれるキリスト教、仏教、イスラム教はすべて家父長制社会の中で成立したため、組織や制度が男性中心になっているだけでなく、教義そのものにも男性優位の思想が内包されている。これらの宗教は長い歴史を通して形成されてきたため、変更や改革は不可能なように見える。しかし、宗教も人間によってつくりだされてきた以上、変革は可能なはずだし、現に何度か宗教改革も起こっている。 
アメリカの現政権やイスラム世界の政治からも明らかなように、宗教は人びとの生活に大きな影響力を持っている。日本では、宗教に無関心な人が多いこともあって、宗教のあり方が積極的に論じられることは少ないが、無宗教に見える日本の社会にも宗教性のようなものは存在しているし、人びとの思想や生活の指針に宗教が及ぼしている影響は大きいと思われる。
私たちは歴史の中で原初の思想がどのように歪曲されてきたのかを明らかにし、性差別的制度や思想を払拭するために宗教はどうあるべきかを探りたいと思っている。そのためには、単に宗教そのものを全面的に否定するのでなく、中立の立場で宗教批判を行っていく必要があるだろう。
このパネルでは、キリスト教(プロテスタントとカトリックを含む)、仏教、新宗教についてそれぞれの宗教の現状と問題点をジェンダーの視点から問い直し、今後の宗教研究にジェンダーの視点が不可欠であることを明らかにしたいと思っている。 

2:00~5:00   
シンポジウム 「国民形成と『兵士』―近代日本の男性性とポリティクス」
「これまでの歴史は、男の歴史であった」というのは、従来の歴史学に対して、historyを言葉遊びにしておこなわれた、フェミニストによる批判であった。
その意味するところとして、歴史叙述の登場人物が圧倒的に男たちである、ということをまずは押さえておいてもよかろう。つまり、実際には歴史の担い手でありながら軽視され無視されてきた女たちがいることの確認が初歩である。
しかし、さらに、歴史過程に、あるいは歴史の担い手たちの意識やハビトゥスに、ジェンダーが作動していたことを明らかにすること、そしてその作動の過程・様相を捉えることがジェンダー史の課題と言えよう。
シンポジウムでは、日本における国民国家の構築において、いかに男性性というジェンダーが作動していたのかを、「兵士」(軍人、戦闘者)という人物に注目することで考えていきたい。
なぜ、そこに焦点を当てるのか?  国家の暴力装置であると同時に、学校と並んで(男性)国民の義務とされ地域と階級を超えて広範に人々を巻き込んだ国家のイデオロギー装置(アルチュセール)でもある軍隊が作り上げる主体として、「兵士」が存在している。彼らの意識やハビトゥスに対して男性性が作動することによって、地域と階級とを超えて皇軍に属して戦う「兵士」が構築され、併せて彼らの国民化が遂行されていったと考えられる。ここで、「併せて」の意味は重い。近代的市民階層の社会的紐帯を核に国民を構築していき、その中で国民軍が組織されていった先進資本主義国と異なり、後発資本主義国家の日本では、市民、国民、兵士(軍)の3者関係において、実に、兵士(軍)の構築が先導的であり、それを通じて国民が形成されたからである。この偏差が、市民階層の紐帯を中核とした国民国家(蘭英仏米等)と、皇軍兵士団たることを中核とした国民国家(日本)との違いをもたらす一要素であったと推察できる。そして、その兵士の構築に際して利用可能な歴史的資源としては、階級的資源(サムライ)は部分的にしか使えず、ジェンダー資源が主に活用された。 つまり、男であること→戦闘者であること→兵士であること→皇軍兵士であることというイデオロギーの連鎖があり、男性性が軍事的な帝国臣民であることとスンナリと繋がり、国民形成の梃子となった。
なお、女たちの国民化=帝国臣民化、彼女たちの帝国臣民としての活動を作り出した筋道についても、兵士を経由する男性の帝国臣民化の問題と合わせて検討されなければならない

ジェンダー史学会 イメージ&ジェンダー研究会共催
公開シンポジウム 共通テーマ:表象の可視/不可視とジェンダー

報告1:千葉慶
「近代天皇制国家におけるアマテラスの政治的機能」
報告2:西山千恵子
「公共彫刻による都市空間のジェンダー化とその変容」
コメンテーター 原武史(日本政治思想史)
森理恵(日本服装史/美術史)
2005 年10 月2 日(日)13:30~16:30
津田ホール(千駄ヶ谷駅前)101・102 室
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-18-24 TEL: 03-3402-1851
アクセス JR中央線(各駅停車)千駄ヶ谷下車すぐ
地下鉄 都営大江戸線・国立競技場駅下車 A4出口すぐ
参加費 会員と学生・院生500円 非会員(学生・院生を除く)1000円

お問い合わせ先
●ジェンダー史学会
〒192-0393 東京都八王子市東中野742-1 中央大学経済学部 長野ひろ子研究室気付
E メール:genderhistory1@khh.biglobe.ne.jp
Fax: 0426-74-3425
ホームページ:http://www7a.biglobe.ne.jp/~genderhistory/
●イメージ&ジェンダー研究会
〒658-8501 神戸市東灘区岡本8-9-1 甲南大学文学部・北原研究室気付
E メール:imagegender@yahoo.co.jp
研究会ホームページ:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/9287/index.html

公開シンポジウム 「戦争体験と記憶」

米田佐代子「戦争体験を記憶するということ―戦後日本の女性の場合」
香川檀「戦後ドイツにおけるナチズムと戦争の記憶―表象文化論/ジェンダー論の視点から」
永原陽子「アパルトヘイトをどう語るか―南アフリカにおける戦争と植民地主義」

モデレーター 田丸理砂・早川紀代

2005年5月22日(日)13:00~16:00
中央大学駿河台記念館 280号室
〒101-8324 東京都千代田区神田駿河台3-11-5 電話 03-3292-3111
交通アクセス JR御茶ノ水駅・地下鉄千代田線新御茶ノ水駅徒歩3分
http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/kinenkan_hp/map.htm

参加費: 会員と学生・院生500円 非会員(学生・院生を除く)1000円

お問い合わせ先
〒192-0393 東京都八王子市東中野742-1 中央大学経済学部 長野ひろ子研究室気付
ジェンダー史学会
Eメール:genderhistory1@khh.biglobe.ne.jp FaX:0426-74-3425
ホームページ:http://www7a.biglobe.ne.jp/~genderhistory/

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