第9回ジェンダー史学会大会プログラム(2012)

12月8日(土)東京外国語大学府中キャンパス 研究講義棟 

受付開始      9:30~    
自由論題発表  10:00~12:00
総会        13:00~13:45
シンポジウム    14:00~17:30
茶話会       18:00~19:00   

大会参加費:一般参加1500円/会員1000円
院生(会員・非会員共通)500円 学部生 無料(学生証提示のこと)
茶話会参加費:500円

問合せ先
〒183-8534 東京都府中市朝日町3-11-1 
東京外国語大学府中キャンパス 野本京子研究室
第9回ジェンダー史学会大会事務局 nomoto-kyo[アットマーク]tufs.ac.jp

■シンポジウム「民主化」とジェンダー
●辻上奈美江(東京大学) 「アラブの春」でサウジアラビアの女性は民主化を求めたのか
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●土佐桂子(東京外国語大学) ミャンマーの民主化プロセスとジェンダー―軍隊・僧侶・アウンサンスーチー―
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●宋 連玉(青山学院大学) ジェンダーの視点から見た韓国民主化の歴史的意義と課題
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コメンテーター 長 志珠絵(神戸大学)、松本礼二(早稲田大学)
趣旨説明・司会 小檜山ルイ(東京女子大学)

報告者・コメンテータープロフィール
辻上奈美江(東京大学)
専攻・研究テーマ:サウディアラビア地域研究、比較ジェンダー論
主要業績:
『現代サウディアラビアのジェンダーと権力−−フーコーの権力論に基づく言説分析―』福村出版,2011年 。
「アラブの春―「民衆の勝利」の裏側から露見したヘゲモニックな男性性―」『神奈川大学評論』第69号(特集・グローバル世界と中東民主化運動―「ジャスミン革命」のゆくえ), 2011年。
「運転解禁に向けたサウディアラビア人女性による抗議行動と今後の展望」『中東研究』第513号, 2012年。

土佐桂子(東京外国語大学) 
専攻・研究テーマ:文化人類学(ミャンマーの宗教等)
主要業績:
「ミャンマー軍政下の宗教—サンガ政策と新しい仏教の動き」工藤年博編『ミャンマー政治の実像―軍政23年の功罪と新政権のゆくえ』アジア経済研究所, 2012年。
「ミャンマー社会の中の仏教と僧侶」渡邊直樹編『宗教と現代が分かる本・2008』平凡社、2008年。
「ミャンマーのいま:ブログからみえること」『すばる』(2007年12月号)。

宋 連玉(青山学院大学)
専攻・研究テーマ:朝鮮近現代ジェンダー史
主要業績:
『脱帝国のフェミニズムを求めて』有志舎、2009年。
『軍隊と性暴力』現代史料出版、2010年。

松本礼二(早稲田大学)
専攻:政治思想史
主要業績:
『トクヴィルで考える』みすず書房、2011年。
"A Historical Reappraisal of Civil Society Discourse in Postwar Japan," in Terrell Carver and Jens Bartelson (ed.), Globality,, Democracy and Civil Society, (Routledge, 2011).
『トクヴィルとデモクラシーの現在』(共編著)、東京大学出版会、2009年。

長 志珠絵(神戸大学)
専攻テーマ:日本近現代史 文化史、ジェンダー史
主要業績:
「<過去>を消費する―日中戦争下の「満支」学校ツーリズム―」『思想』1042号、2011年2月。
「朝鮮史」史料採訪『復命書』を<読む>―『朝鮮史』編纂と帝国の空間―」『日本思想史』76号、2010年6月。
「「女工」言説と国民化・帝国・暴力」加藤千香子・細谷実編『ジェンダー史叢書5 暴力と戦争』明石書店、2009年。

【自由論題要旨】

部会A
発表者名:難波美緒
所属:早稲田大学大学院
発表題目:阿豆那比の罪の検討(仮)

文化史の観点からは、男色の初見とされてきた記事がある。『日本書紀』神功皇后 摂政元年二月条である。その条に記載のある「阿豆那比(あずない)の罪」は、「二社の祝者を共に合葬した」ことを指すと、当該条内に記述がある。このため、考古学の立場からは、斉藤忠氏によって、合葬の罪を指すのか否かについての考察がなされ、その結果として、「日本古代合葬を考察する重要な資料ではない」とされ、「神事に仕える者の合葬という特殊な場合に発生した特殊な一事例と見るべき」で、「神事にともなう偶発的な特異な一伝承であった」と解釈されてきた。
しかし、『日本書紀』が天皇の正当性を意図して書かれた史書である以上、全く無意味な下りを付け加えるとは考えがたい。本当に無意味と考えられたのならば、編纂過程で失われているはずである。そこで本報告では、どうして神功皇后摂政元年の二月に、この記述が残されているのかについて考察を加えたい。また一体なにが「阿豆那比の罪」に当たるのかを検討し、この罪が『日本書紀』のこの部分に記される理由を究明したい。      
その方策として、まず「阿豆那此の罪」の語義を確認した。次に「二社祝者」とはどのようなものなのかを考えた。当該記事の場所について検討し、比定される位置を考察した。具体的には、和歌山県紀ノ川市北志野あたりと、和歌山県伊都郡かつらぎ町大字上天野とが、比定地とするに相応しいと考えられる。更に考古学の先行研究を概観し、古墳時代前期に合葬事例がゼロではないことから、阿豆那比の罪は、「一般的なものではなく、神に仕える人が合葬したという特殊なものと解釈されよう。」また「神事に仕える者の合葬という特殊な場合に発生した特殊な一事例」とされ、考古学的にこの記事を議論する意味はないと結論づけられることを確認する。これらの先行研究で、祝であることが重要であるとされているため、「祝」について検討をすすめ、祝が神に仕え、神の意を伝える役割を果たす事がある存在であるということを確認した。
『律令』には、祝についてもいくつか規定があり、祝が守るべき神聖さが重要であることや、神事に関わる際には穢れに触れてはいけないことなどが定められる。この規定と、記事が神功皇后の摂政元年二月に挿入されていることから、祝であること自体には合葬による罪は認めがたいが、神功皇后が摂政を始めた月に起きた事件であったために、この祝達の行動(祝が別社の病の祝と接触したこと)が穢れとなり、罪と表記されるに至ったのではないかと考えた。つまり、「阿豆那比の罪」は、即位直前には、散斎すべき神職である祝が、弔喪という穢れに触れた上で、合葬されたことを指すと考えられる。また神功皇后が摂政として政治を行い即位しなかった事と関連するとすれば、この記事が「男色の初見」とされる以上に、『日本書紀』のこの場所に挿入される意義を持つものであったといえるだろう。

発表者名:鈴木則子
所属:奈良女子大学
発表題目:江戸時代の労瘵(結核)とジェンダー

本報告は、江戸時代に「労瘵」・「労咳」などと呼ばれた結核という病が、感染症でありながら、女性特有の生得的心身のありかたに起因すると広く認識されるようになっていったことを、医学書や文学作品などを史料に検証するものである。
 これまで先行研究は、主として随筆や浮世草子といった文学史料に依拠しながら、労瘵は伝染する病であるという認識があり、また治療薬もないために症状が激化することも珍しくなく、江戸時代においては重要な死亡原因のひとつであったこと、にもかかわらず、人びとはこの病を思春期の、しかも比較的上流社会の子女に多いとか、遊郭と結びつけて「艶っぽい病気」とみなし、「もっぱら綺麗事」として扱ったということを指摘する。では、病の実態とかけ離れた上記の労瘵観はいかにして形成されたのだろう。
 まず検討すべきは、当時の医学的労瘵認識である。江戸時代前期の医学の基礎となっている明・清の中国医書をみると、労瘵の病因として自発と伝染の二通りをあげ、自発の場合は心身の「虚」の状態がこうじて、やがて労瘵となるとしている。
 「虚」の原因は男女で異なる。ことに16世紀以降の中国医書は、男性は酒色におぼれ、贅沢で怠惰な生活を行うことに加えて、科挙のための勉強のしすぎが、対して女性は生まれつき精神が不安定で喜怒哀楽が激しく、また性欲が強いため欲求不満となることが主たる原因と考えた。男女ともに、肉体労働の必要もなく、くよくよと思い悩む暇をもつ有閑階級の病、というイメージも形成される。
いっぽう日本医学は元禄期以降、独自の展開を遂げていくが、その過程で当時の日本社会を反映した労瘵患者像を創り出していく。元禄期の安定した社会経済と豊かな都市生活は、社会階層の固定化と消費生活の拡大をもたらし、ストレス社会を出現させた。労瘵は気の消耗=「気虚」よりもむしろ、ストレスを原因とする気の滞り=「気鬱」がもたらす時代病として注目されるようになるのである。
 「気鬱」の直接的原因は、男性の場合は職場での人間関係が指摘され、女性の場合は元禄期における庶民の「家」の成立を背景に、舅・姑・夫に気に入られない嫁の葛藤や、家庭内に閉じ込められた未婚女性・寡婦の性的欲求不満が強調される。治療は気の鬱滞を取り除くことであるが(「順気」)、薬や鍼灸のほか、性的欲求不満防止のために早期の婚姻も有効と考えられた。
 文芸や春画もこれに呼応するように、家に囲い込まれた女性が鬱々として過ごすうちに労瘵にかかり、間男との逢瀬によって治癒するというストーリーを描くようになる。

発表者名:上野裕子
所属:貝塚市教育委員会 社会教育課
発表題目:近現代における建築とジェンダー

建築とは、人間が活動するための空間を持つ構築物である。建築は人間が生活していくうえでかかせないものであり、物心両面からの要求に基づいて建てられてきたものといえる。
 女性、建築とジェンダーとの関係について論究したものについては、西川祐子氏の業績や建築史から西山夘三氏ほかさまざまな論説があるが、どちらも歴史、建築の一方からの視点による分析である。
 近現代においては、西洋の技術や文化の受容により生活様式が変化したことにより、そこで活動する建築の様式も変化していくが、建築における近代化の受容は全国一律ではなく、地域ごとによって異なり、風土の違いによるその土地固有の特徴もある。全国的な流れに加えて、地域における特徴も加味した研究が今後求められる。
 本発表では近世から近代の建造物の調査と近現代の市史編纂に携わり女性史料の調査を行った経験から、泉州を中心にした大阪府下の分析から、建築と女性史の両分野から改めてジェンダーと建築について考えてみようとするものである。
 建造物調査報告書、建築雑誌類、建築論文集・報告集などに取り上げられた建築平面図などから分析を進め、その特徴と歴史的な流れを明らかにする。そのうえで、地域の歴史史料などから女性に関係する史料を取り上げ、地域の女性の存在が社会的、家庭的にどのように変化していったのかを分析する。
 泉州では、都市部における近代化の流入や振興商人層の台頭とともに、紡績業の勃興などにより農村部にも近代化が進み、新しい中流階級層が台頭し、生活様式の変化などによって、女性の社会的意識の変化が生まれる。こうした女性を中心として戦後は婦人会を中心に女性の社会的な進出やコミュニティにおける女性の活躍も見られるようになる。しかし、建築空間は近現代になってもまだ格式を重視した伝統的な様式が根強く残っており、女性はこうした格式を重視した家で、「家」と「家庭」の二重構造のなかにおいて、居場所を作っていた。
 一方、近現代の紡績業などの工場化の大きな流れのなかで工場や寄宿舎などが多く建てられている。このような建築は大規模工場では近代以降登場した専門的な設計技術を持つ建築家と呼ばれる人物によるものがある一方、中小規模の工場は村落内の大工が見様見真似で建てている。戦後は戦争未亡人などを対象とした「母子寮」などが建てられるが、これらの建築では女性たちは劣悪な居住空間の中で生活していた。こうした女性たちは大阪府や公民館などの「学校」や「婦人教室」という場で外の世界を知っていった。
 こうした戦後の女性の社会的な生活変化のなかで女性の利用を前提とした戦後の公共建築や公営住宅がどのように変化していくことになるのか、さまざまな建築空間の分析を通して、女性は構築された「建築」においてどのような生活をし、何を考え、行動したのか、地域における女性の社会進出と建築との関係を探る。

部会B
発表者名:粟倉 大輔
所属:中央大学大学院
発表題目:明治期の「再製茶女工」の実態とイメージ形成

本報告は、明治期日本の主要輸出品であった製茶の再製加工に従事した日本人女性労働者=「再製茶女工」について論じるものである。この「再製茶女工」についてはすでに報告者が論じている(「明治期における「再製茶女工」とその再評価」『中央大学経済研究所年報』第43号、2012年出版予定)。しかし、この「再製茶女工」が資料のなかでどのように描かれてきたのか、いわゆる周辺からのイメージやそこにある背景については分析が不十分であった。このため報告ではこの点を中心に論ずることにする。
製茶の再製とは、輸出のために必須であった「火入れ」と「着色」のことをいう。火入れは、長期の輸送中に品質を低下させないために、茶葉を再乾燥させることである。着色とは、火入れ中に着色料を用いて茶葉に艶を出すことである。再製は、居留地において外商が経営していた「お茶場」という工場で主に行われていた。またその現場は中国人男性が監督していたのだが、これは再製技術が中国のものであったためである。
明治期において、製茶は生糸と並ぶ主要輸出品=外貨獲得源であった。このことは、「再製茶女工」が日本の近代化に少なからず貢献した女性労働者であったことを意味する。しかし、彼女たちは従来の製茶業史や女性労働史研究のなかで詳しく分析されず、いわば不可視化された存在であった。本報告では、「再製茶女工」を取りあげることで、明治期の女性労働あるいは女性労働者がどのような存在であったのかを捉えなおすことを試みる。
まず、本報告では「再製茶女工」の実態(賃金・労働時間・労働環境など)について述べる。つづいて、彼女たちのイメージ形成やその背景について検討する。「再製茶女工」については、現場監督である中国人男性に虐待される弱い存在、いわゆる「女工哀史」的な見方をする動きが現在でもみられる。しかし、「再製茶女工」のイメージ分析において注意すべきことは、彼女たちに関する資料の執筆者(記者)、あるいは彼女たちの目撃者などが男性である、あるいはそのように思われることである。当時の男性の「女工」に対する視点(蔑視あるいはセクシュアリティに関するもの)はイメージ形成に大きく作用したであろう。他にも、「再製茶女工」たちが働いていた居留地(開港場)という場所や、外商(欧米人)・中国人などに対する視線もその背景にあると思われる。「再製茶女工」について論じるうえで、当時の日本社会で彼女たちはどのような存在とみなされていたのか、またそこに潜む背景とは何かについて検討を加えることも必要であると考える。
資料は、『日本茶輸出百年史』などの明治期の製茶業に関する資料や『横浜市史』をはじめとする自治体史および居留地・開港場関係資料を用いる。また、『横浜毎日新聞』や『労働世界』などといった当時の新聞・雑誌の記事も利用する。

発表者名:李 杏理
所属:一橋大学大学院
発表題目:「解放」直後在日朝鮮人による濁酒闘争とジェンダー―1945-1949

本報告は、朝鮮「解放」/日本敗戦直後から1949年までの在日朝鮮人による濁酒闘争の考察を通じて、当該時期における在日朝鮮人の生活のありようと旧帝国権力との関係、ジェンダー配置を明らかにすることを目的とする。
濁酒闘争とは、①酒類製造の免許を持たない庶民がなした酒造行為、②それらが官憲の強制捜査にあったとき、隠したり逃れたり捜索を妨害することなどによって取締りに抵抗したこと、③酒税法違反で差押えを受けた後に、飯米や検束者の奪還、あるいは責任者の謝罪・退陣を求めて団体ないし個人的交渉によって抗議活動に出たこと、これらのうちいずれかを含んでいる場合を指す。
「解放」後、日本にいた朝鮮人のほとんどが失業状態に陥り、不安定な稼ぎに頼らざるをえなくなった。屑拾いや日雇い労働のみならず露店商をめぐる売買や濁酒・飴づくりといった非合法な生業をなした。とくに朝鮮人女性は80.5%が「無職者」で、濁酒や買出し売出しなどの「ヤミ行為」をして家計を支えていた。そのなかで露店商がもっぱら朝鮮人や台湾人によって担われているかのような「第三国人」言説が登場した。これに対して在日本朝鮮人連盟(以下、朝連)と朝鮮人民衆が抗議し、生活権擁護闘争を組織した。
そもそも、朝鮮の酒文化は、女性たちがその担い手となって家庭内で醸造されてきた。朝鮮人は日本に渡ってからも集住地域で酒造文化を受け継ぎ、「解放」直後の困窮するなか、濁酒を売って生活を支えたのだ。
対して、酒への課税は、さかのぼること明治期の近代国家建設に端を発し、帝国主義戦争による非常時のかけ声とともに増徴が正当化され、国庫収入と財閥保護のために自醸が禁止され、植民地朝鮮にも適用された。敗戦後には、主食と税収確保の名の下に酒造は再度厳しく禁じられていく。
そして、1947年の川崎事件を契機として治安問題の口実を得つつ、朝鮮人集住地区に対する徹底的な濁酒取締りが開始された。濁酒をめぐる朝鮮人民衆と日本官憲との攻防は、朝連がつなぎ役をつとめる生活権擁護闘争や抗議行動ともあいまって展開されていくこととなる。
このような過程で朝鮮人は生活権を切り崩され、ジェンダー差をともなって被害が拡大した。濁酒闘争および生活権闘争における弾圧とは、日本政府が在日朝鮮人の生存権を否定していくプロセスでもあり、排外主義の端緒としてあった。
本報告は、文書資料および聞き取り調査にもとづいて、在日朝鮮人による濁酒づくりの文化とそれが取締られていく過程、濁酒闘争の展開を可能な限り詳細に追う。この点は、本研究によって初めて明らかされた事実群である。また、今回明らかになった酒税法ほか特別法違反の起訴率におけるジェンダー分布および民族比率を示したい。

部会C
発表者名:北原 零未
所属:東京家政学院大学/YMCA健康福祉専門学校
発表題目:日仏の人工授精制度:“少子化対策”と“子どもを持つ権利/子どもの権利”

不妊治療 (人工授精) に対する、日仏両国の国家的取り組みと、そのスタンスの違いを報告する。日本で、人工授精にかかる費用を国庫負担とする案が出されたのは2002年であるが、その目的はひとえに“少子化対策”である。日本で少子化が社会的に意識されるようになったのは、89年の「1.57」ショック以降である。92年の「平成4年版国民生活白書」に初めて「少子化」が公式に登場する。その後、「新エンゼルプラン」「健やか親子21」では「母子保健医療体制の充実」を名目に不妊相談事業が開始される。2002年にはついに当時の厚労省大臣が「厚労省の来年度予算の中心は少子化対策であり、少子化対策の観点から不妊治療に対して公的支援を行う意向」と宣言し、以後、不妊治療への公的支援について発言を繰り返すようになる。確かに、不妊治療には大変な費用を要するため、現在治療中の人たちにとってみれば、これは朗報であろう。また、少子化対策が絶対的国是であるならば費用は国家が負担すべきであるとも考えられる。しかしながら、日本では、人工授精で生まれてくる子どもとその家族の、その後の人生についてはまだ何も議論されていない。現時点ではとりあえず出生率を上げることのみが目的となっている。
一方、フランスではどうか。フランスの体外受精による最初の出生は82年であると言われている。これを契機に、83年、大統領直属の国家倫理諮問委員会が設置され、以後、人工的に子どもを生み出すことの是非が問われるようになる。その後、94年生命倫理法により、自然的生殖が不可能な場合もしくは危険な場合のみ医療的介助生殖が認められた。しかしここから、子どもを持つことは権利なのか、権利であるとしてもそこに人工的・医療的技術が介在すべきなのか、という議論へと発展する。現在の日本は、「子どもを持たない権利」(女性自身の生殖決定権と生まないという選択)についてようやく議論されるようになった段階であり、「持つ権利」についてはまだ議論が尽くされていないが、一方フランスでは、すでに「子どもを持つ権利」ではなく「子ども自身の権利」へと議論の段階は移っている。そして、この観点から現時点でフランスはまだ人工授精に対してきわめて消極的である。
このように人工授精に対する国家の姿勢は、かたや少子化対策の視点から積極的 (その後財政難により計画は頓挫)、かたや「子ども自身の権利」の視点から消極的なものとなっている。ただし、両国に共通しているのは、目的・結果は異なるものの、議論が女性の不妊・人工授精にのみ集中している点であり、女性の性と身体への国家的介入は容認されているが、一方で男性不妊については議論の対象とはなっていないのである。

発表者名:富田裕子
所属:成城大学
発表題目:英国の婦人参政権運動とそれが日本の婦人運動に及ぼした影響について

今回の発表では、まず英国の婦人運動、中でもビクトリア朝後期からエドワード朝にかけて盛んに行われた婦人参政権運動に焦点をあて、その中心となった2つの婦人団体、女性参政権協会全国同盟(National Union of Women’s Suffrage Societies、以下略して NUWSS)と女性社会政治同盟(Women’s Social and Political Union、以下略してWSPU)の活動内容、成果、社会に与えたインパクトについて比較考察を試みたい。
次にビクトリア朝後期の英国では「新しい女」(‘A New Woman’)という言葉が流行した。そして「新しい女」と呼ばれた多くの女たちは様々な婦人運動に参加し、婦人参政権運動の先駆者となった。この言葉は日本にも伝わり、西洋の文学作品に登場する「新しい女」を主題とした坪内逍遥の講演を機に広まった。坪内が設立した文芸協会による「新しい女」ノラを主人公とするイプセンの『人形の家』の上演も「新しい女」の普及に貢献した。更に『青鞜』が『人形の家』についての特集号を組み、この劇を論じたことにより、青鞜社の女たちは日本の「新しい女」と呼ばれるようになった。
これらの一連の出来事とほぼ同時期に、日本の新聞や女性雑誌は英国の婦人参政権運動をよく取り上げるようになった。それでは英国の婦人参政権運動はどういった経路で日本に伝えられ、日本の婦人運動にいかなる影響を及ぼしたのであろうか。1910 年の春から夏にかけてロンドンで開催された日英博覧会の取材のため多くの新聞記者が渡英した。婦人参政権運動獲得を要求した大規模なデモ行進をロンドンで偶然目撃し、興味を持った日本人記者はNUWSSやWSPUの女性たちを取材し、詳しい記事を主要新聞に掲載した。またロンドンに長年在住していた日本人画家のマキノ・ヨシオも女性雑誌『新真婦人』にWSPUの活動報告を寄稿した。これらの記事がきっかけとなり日本でも婦人参政権に関する討論が展開されるようになった。中でも高度な教育を受けた日本女性はNUWSSやWSPUの運動に大きな衝撃を受け、自分たちも英国の「新しい女たち」に倣おうと奮い立った。NUWSSは法律を順守し、穏健な婦人参政権運動を展開したが、過激な戦術に訴えたWSPUの活動の描写は日本の一般大衆、とりわけ男性に「新しい女」並びに婦人参政権運動に対する否定的なイメージを与えてしまった。また婦人参政権運動は日本の家族制度を崩壊の危機に追いやるものだとみなされるようになった。このような非難にもかかわらず、日本では新婦人協会により婦人参政権を求める請願運動が開始され、その後米国から帰国した市川房枝が中心となって活躍した婦選獲得同盟により本格的な運動へと発展していった。これまで市川が滞米中に出会った米国の婦人参政権運動の指導者アリス・ポールから受けた影響については明らかにされているが、英国の婦人参政権運動が日本の婦人運動に与えた影響について詳しく考察した論文は私の知る限りでは見当たらない。今回の私の報告を通して、日英の婦人運動のつながりや関わりを明らかにしてみたい。

発表者名:洲崎 圭子
所属:お茶の水女子大学大学院
発表題目:女性作家の語りの手法とその思想―二本の長編小説をつなぐ「女」たち―

ロサリオ・カステリャノス(1925-1974)が1960年前後に発表した初期の小説群は、メキシコの先住民社会を扱っていることから、先住民擁護主義文学に新風を吹き込んだと評価が高い。しかし後期に発表された短編小説や戯曲、エッセイのテーマの傾向等を勘案すると、むしろ当初よりカステリャノスの興味は、「女性」の問題に取り組むことにあったのではないかという仮説が成立する。カステリャノスはメキシコにおいて、女性論、文芸批評論など数々のエッセイを新聞や雑誌に精力的に発表した。ラテンアメリカにおける女性作家としてははじめて、日本の男性「文豪」についても論評した稀有な文筆家でもある。
 独立後一世紀を経て革命を経験したメキシコは、政策的に先住民を「国民」として取り込み、なおかつ「家族」を基礎単位とした近代的国民国家の建設を目指した。そのような時代にあって、社会におけるさまざまな位相の葛藤を一人ひとりの女がいかに認識し経験したかにつき文学作品に描こうと試みたのが、ロサリオ・カステリャノスである。自らの執筆活動を始めるにあたり、フェミニズム的視点から東西の多くの文学作品を喝破するなど、女性の生き方について膨大な紙面を費やしさまざまに書いた。ボーヴォワールやヴァージニア・ウルフ、ベティ・フリーダンなどフェミニストの先達たちの活動状況をスペイン語圏にまとめて紹介した功績も大きい。ちょうどウルフが小説家でありながらフェミニズム的エッセイを記したと同様ロサリオ・カステリャノスも、小説、詩、戯曲、批評を発表し、さらには職業外交官、大学教員等あらゆる「手段」を行使しつつ明確に自身のフェミニスト的立場を公言していったともいえる。
 本報告では、彼女のエッセイなどに記された内容から立ち上がる、作家が「理想」とした女性像と、革命後の近代化に邁進するメキシコ社会において求められた女性の在り方との差異を探りつつ、生前出版された先住民世界を扱った二つの長編小説のなかから、各々の作品における女性登場人物を取り上げ、その関連性に着目する。1957年に出版された第一小説『バルン・カナン』と、その5年後に発表された二作目の長編小説『真夜中の祈り』ではそれぞれ、跡継ぎとなれない女児、中絶を図った未婚女性、息子を失くしてしまう母、養子を迎えた不妊の妻などが描かれている。これら二作品で描かれる女性の人物造形を比較分析することにより、当時の社会が期待した「家族像」から逸脱した女性の疎外感、苦悩が前景化され、小説の舞台を都会に移したのちも引き続き女性の在り方を問う作品群を書くに至った女性作家の思想の変遷を探ることが可能となる。

部会D
発表者名:小玉亮子
所属:お茶の水女子大学 大学院人間文化創成科学研究科
発表題目:20世紀前半のドイツにおける家庭教育の展開

子どもの教育を担うのはだれか、という問題は、これまで長く論点となってきた。
 20世紀後半の日本において、最大の教育論争の一つとなったのが親の教育権をめぐる議論であったと言ってもいいだろう。親の教育権、教師の教育権、国民の教育権、そして、国家はそれにどのようにかかわるのか。20世紀後半、この親の教育権をめぐって日本の公教育の在り方が繰り返し問われた。この様な議論が展開されるときに参照されてきたものにヴァイマル憲法の120条がある。親の教育権を「両親の最高の義務であり、自然の権利である」と明言したこの条項は、日本において、憲法上の親の教育権の在り方を論じる際に繰り返し注目されてきた。
 ただ、ここで、両親という一括りでの議論をいったん外してみると、様々な課題が浮上してくる。父親と母親では、議論が異なってくるのだ。両親の教育権を規定した120条の一つ前の119条には、この父親と母親を区別した議論を見ることができる。家族保護条項ともいわれる119条は、家族を支えることが国家の義務であることを明示したうえで、「母性は国家の保護と配慮を求める権利を有する」と述べる。ヴァイマル憲法は、憲法の中に「母性」という言葉を明文化した「画期的な」法律であるといってもいいだろう。子どもの教育を担うのはだれか、という問いは、ヴァイマル憲法においてはジェンダーの視点から検討されるべき問いとして存在しているということができるのではないか。
 この点を考慮にいれると、この時期、子どもの教育を担うのはどこか、という議論もまたジェンダーの視点から問われるべき論点であると考えられるのではないか。この点が本報告の中心的課題である。
ヴァイマル憲法をうけてドイツでは教育制度全般の再構築が図られることとなったのだか、特に、親の教育権が具体的にどのように具現化していくのか、憲法制定後教育制度設計が検討された。その際に、重要な役割をはたしたのが1920年の全国学校会議である。そこで、具体的な教育制度構想が議論されるのだが、ジェンダーの視点を設定するときに、興味深い展開をしめしたのが、就学前教育に関する議論である。家庭教育と学校教育との関係をめぐって、最も、不安定な位置に立たされたのが、ここであった。フレーベル以降「母性」という言葉に深く裏打ちされた「幼稚園」の位置づけをめぐる議論が、家庭と学校の在り方についての時代の認識を浮かびあがらせることとなる。
全国学校会議の議論を中心に、最終的に「教育」から「幼稚園」が排除される課程を分析することで、「母性」が教育に持つ意味について、報告の中で議論したいと考えている。

発表者名:石井 香江
所属:同志社大学
発表題目:「父親にも育児休業を!」:西ドイツの「新しい家族」構想(1970~80年代)

近年日本でも社会の少子高齢化に否応なく後押しされるかたちで、職場と家族における男女の役割分業を是正するのに加え、ワーク・ライフ・バランスを推進する意味で父親の育児休業取得を目指すなど、育児休業制度の見直しが図られている。従来、幼い子どもを持つ親(とりわけ母親やシングルファーザー)が仕事と育児を両立するためには、祖父母や保育所等に子どもを預けて仕事を続けるか、育児休業を取得するかという数少ない選択肢の中で、仕事を一時中断せざるをえないことも珍しくはなく、これが当人の就業形態や職種を制約することになり、賃金や職位の格差の原因になっていることが問題視されていたことももちろんその背景にある。その際、2007年に「両親手当」(Elterngeld)を導入した後、育児休業を取得する父親が増えたドイツの経験が肯定的に参照されることが少なくない。ドイツでは原則として18歳未満の全ての子どもに所得制限なしに支給される「児童手当」(Kindergeld)と、子どもが2歳になるまでは仕事を中断することになった育児の担い手に「育児手当」(Erziehungsgeld)が支給されてきた。この「育児手当」に代わり「両親手当」が導入されたことで、育児の担い手が母親と父親の双方であることがあらためて強調され、両親ともに育児休業を取得した場合には休業日数が長くなるという、それまで低調であった父親の育児休業取得率を高める工夫も加えられた。ナチス時代に実施された優生学的な人口政策への反省から、戦後ドイツで長くタブー視されていた出生率上昇を意識したこの一連の試みは、「家族政策のパラダイム転換」として評価されている。しかしこの転換は、何も今に始まったことではなく、1960年末から始まる長い「学習過程」の末に到達した一つの成果であり、「両親手当」の意義や問題点について検討するのであれば、歴史的な視点の導入が不可欠である。
そこで本報告では時代をさかのぼって、1979年に施行された「母親休業」(Mutterschaftsurlaub)に代わり、1986年に「育児手当・育児休業」(Erziehungsgeld/-urlaub)が導入されるまでの政治過程と社会の動向の双方に目を向けて、この時期の西ドイツ社会で、家族のあり方や育児の担い手がどのようなものとして議論されていたのか、そしてこれと関連して、手当の支給者や休業の取得者は誰なのかをめぐる議論の歴史的変遷を跡付け、「母親」に代わる新しい育児者として、「母親」と「父親」の双方を意味する「両親」、とりわけ「父親」がクローズアップされるようになった背景や意味について再考することにしたい。この動きの背景には、当事者の意向だけでなく、連邦議会議員、労働組合、『家族報告書』を作成した専門家集団の、多様な思想的傾向と政治的思惑が交錯していた。本報告では特に、「新しい家族政策」を掲げ、「平等とパートナーシャフト」という観点から父親を育児手当・休業の支給対象者に提案したCDUのヘルガ・ヴェックスの発言に注目してみたい。

シンポジウム「民主化」とジェンダー趣旨文

12月8日(土)東京外国語大学府中キャンパス 研究講義棟

 2010年から2011年にかけ、アラブ世界で広く反政府/民主化運動が起こったのは周知の事実である。「アラブの春」と総称されるこうした動きは、東南アジア諸国の一部や中国など、アラブ以外の地域や国々にも影響を与えるのではないかとも言われ、その兆候はあったが政府によって抑え込まれた事例も散見された。
 こうした現代世界における動向は、改めて、「民主化」とは何なのか、という問題に私たちの関心を向かわせる。
 近年、「民主主義」をナショナル・アイデンティティ(あるいは、自己イメージ)の一部に組み込んでいるアメリカ合衆国や、「民主化」されて久しいはずの日本においては、その制度の機能不全が懸念されている。両国において見られるのは、権力の集約の困難と経済的・社会的不安の中で、強権主義的な主張やリーダーが、かえって人々の支持をとりつけるという現象である。これは、ワイマール共和国の経験に似ていないだろうか。
 また、アラブにおける「民主化」運動は、結果として「宗教的保守」勢力に権力を掌握させる可能性を大きくするようにも見える。「宗教的保守」派は、しばしば、異なる意見に対する寛容度が低く、特に女性には厳格な行動枠組みを設定する傾向が歴史のなかで指摘されてきた。これは、「民主化」という言葉で通常私たちがイメージする方向とは逆の結果を「民主化」運動が起こしているということなのだろうか。
 このことは、1830年代にアメリカ合衆国の白人の間で民主主義社会が成立したとき、現代的な観点からすると抑圧的とも言える役割が女性に割り当てられていたことを思い出させる。当時、女性は選挙権を持たず、政治的部外者と位置づけられていた。それにもかかわらず、いや、だからこそ、白人女性は、キリスト教と結びつき、道徳的規律を保持する「道徳の守護者」という役割を通じて、民主主義の維持に欠くべからざる役割を負うはずであった。民主主義が、自分勝手な欲望の暴発、無政府状態にならないよう、その成員各個人の自己抑制を涵養することを、白人女性は期待されていた。その役割は白人女性の権力の源泉でもあったが、また、白人女性自身が「自己犠牲」の振る舞い―現代では窮屈としか言いようがないような―を体現せねばならなかった。
 現代アメリカで政治的影響力を増している宗教右翼は、このようなかつての役どころに再び女性を回収することを主張し、フェミニズムに敵対する。
 本シンポジウムでは、アラブ世界をはじめとする、今日の「民主化」運動は、何を目指しているのか、運動におけるヘゲモニックな潮流は、女性と男性にそれぞれどのようなジェンダー役割を振り与えようとしているのかを問う。さらに、女性たちは「民主化」運動のなかで、どのような女性固有の要求を実現しようとしているのかも考えてみたい。このような問いを発する際、「女性たち」のなかにも、様々な、ときに、するどく対立する要求が存在する可能性についても留意する必要があろう。シンポジウムを通じ、「民主化」の意味について、ジェンダーの観点から思索が深められることを期待したい。

シンポジウム(ジェンダー史学会春のシンポin岩手)
エンパワーメントとジェンダー史の関係性――地域女性の自主学習運動を通して

女性史は、各地域の女性たちによる自主学習運動として展開され、女性たちのエンパワーメントを達成してきました。他方でジェンダー史は、地域における女性の自主学習の動きにどのような影響をもたらし、エンパワーメントとどのように結びついているのでしょうか。とりわけ東日本大震災という大きな危機を経験し、学問と地域のエンパワーメントとの関係性があらためて問われている現在、ジェンダー史は女性たちのエンパワーメントに何を提起していけるかを考えていきたいと思います。

この問題を考えるために今回のシンポジウムでは、地域での自主学習から女性史研究へと向かっていった世代から、ジェンダー史が提唱されて以降の若い世代まで、様々な立場のパネリストから、エンパワーメントとジェンダー史の関係性を問うていただきます。また、丸岡秀子ら女性史研究者が地域住民への支援運動に加わった岩手 県の「小繋(こつなぎ)事件」関係者をパネリストに招き、エンパワー メントと研究との関係について話題提供をしていただきます。

<日時>2012年5月12日(土)13時~17時シンポ、終了後に茶話会
<場所>岩手大学学生センター棟G18教室(JR盛岡駅よりバスまたはタクシー)

http://www.iwate-u.ac.jp/campusannai/campus_map.shtml
<プログラム>
13:00~13:10   趣旨説明 海妻径子(岩手大学)
13:10~15:10   パネリスト報告
○柳原恵(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)「麗ら舎の〈おなご〉たち―岩手県北上市における軌跡を拓く」
○菊地文代(映画製作者)  「『こつなぎ』を通して生き方を探る」
○植田朱美(岩手女性史を紡ぐ会/戦中・戦後を語りつぐ会(いわて))「岩手女性史年表・史料と記録集『いわてからの声』編纂へ――地域の女性史・ジェンダー史の現場から」  
15:10~15:30 休憩
15:30~16:00 報告へのコメント 加納実紀代(女性史研究者)
16:00~17:00 ディスカッション  <司会>加納実紀代・海妻径子
17:10~18:10 茶話会  

◎共催:岩手大学男女共同参画推進室  
*岩手大学の学内保育スペース「ぱるん広場」の利用が可能です。  
利用ご希望の方は事前にお問い合わせください。  
◎当シンポジウムについてのお問い合わせは、下記にお願いいたします。
岩手大学人文社会科学部海妻研究室
(tel/fax:019-621-6750 Email:kkaizuma@iwate-u.ac.jp)

参加費:シンポジウム無料、茶話会500円  

主催:ジェンダー史学会 〒166-8532 東京都杉並区和田3-30-22 
大学生協学会支援センター内
Tel:03-5307-1175 Fax:03-5307-1196 E-mail:genderhistory1@univcoop.or.jp

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ジェンダー史学会特別企画シンポジウム
「ジェンダー史の今後を考える
―『ジェンダー史叢書』完結によせて―」

〔日時〕2012年3月4日(日)14:00~17:30
〔会場〕津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス 津田ホール1階 会議室 http://tsudahall.com/
(JR中央・総武線「千駄ヶ谷」駅 都営地下鉄大江戸線「国立競技場」駅A4出口)

〔開催趣旨〕
 2009年7月から刊行を開始した『ジェンダー史叢書』(全8巻、明石書店)が、このたび全巻完結致しました。
 同シリーズは、ジェンダーの視点から人類史にアプローチし、その最新の学問的成果を広く学界や社会で共有することをめざして刊行されたものです。150名を超える執筆陣が、現代的課題を重視しつつ、学際的・国際的視野から包括的なジェンダー・アプローチを行うことで、ジェンダー史研究のみならず隣接諸科学も含む学術研究の発展にも貢献することを意図したものです。
 『ジェンダー史叢書』の執筆陣の多くは本学会の会員であり、ジェンダー史学会として、叢書の刊行が如何なる意義を有するのか議論することは、本学会が今後切り拓いていかなければならない領域が数多くあることを考えると、今後の会活動にとって是非とも必要なことであります。
 シンポジウムは、まず、叢書刊行の側からその意義と問題点等を提起し、それをふまえつつ、今後ジェンダー史をどう切り拓いていくべきか報告者の方々に論じていただきます。

〔報告〕
『ジェンダー史叢書』刊行の意義と今後の課題  長野ひろ子(中央大学)
表象研究とジェンダー史   千葉 慶(千葉大学等非常勤講師)
ジェンダー史と男性史研究  兼子 歩(長野県短期大学)
ジェンダー史研究とアジア  須藤瑞代(日本学術振興会特別研究員)
「新しい世界史」とジェンダー史  羽田 正(東京大学)

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