第3回 ジェンダー史学会 大会プログラム

日時 11月26日(日)
場所 津田ホール(東京都渋谷区千駄ヶ谷)
大会参加費: 一般参加1500円、会員1000円
学生・院生(会員・一般参加共通)500円
茶話会参加費: 一般参加者、会員、学生・院生1000円

〇自由論題
部会A 司会および進行(細谷実)105会議室
・ 10:00~10:40 山口(内田)雅克「『少年世界』に見る世紀転換期日本のマスキュリニティ表象」
・ 10:40~11:20 マーシャ・ヨネモト「江戸時代初期の女性のマニュアル本に表れる女の身体観」
・ 11:20~12:00 野田恵子「女同士の親密な関係の不可視性に関する一考察―イギリスを事例に」

部会B 司会および進行(佐藤円)102会議室
・ 10:00~10:40 佐藤千登勢「『アメリカ型』福祉国家の形成とジェンダー―母親年金から要扶養児童扶助(Aid to Dependent Children)への移行」
・ 10:40~11:20 今井小の実「女性の社会進出と社会事業―新婦人協会とアメリカ社会事業の展開を通して」
・ 11:20~12:00 須藤瑞代「近代日中女性交流―竹中繁(しげ)を中心に」

部会C 司会および進行(酒井順子)101会議室
・ 10:00~10:40 佐藤繭香「アイデンティティの表象―パレードにみるエドワード朝期の女性参政権運動」
・ 10:40~11:20 北原零未「フランスにおける女性政策、その歴史と転換」
・ 11:20~12:00 櫻井悠美「古代ギリシアにおける女と薬草」

部会D 司会および進行(江上幸子)津田ホール
10:00~11:00 パネル「『生』と『声』にみる台湾の植民地身体」
報告 呉佩珍/李文茹
コメント 吉原ゆかり

〇総会 13:00~13:45 津田ホール
シンポジウム 13:45~16:30 津田ホール
テーマ 「文化・権力・ジェンダー」

司会 小檜山ルイ
シンポジスト 安武留美「ジェンダー規範と世紀転換期のアジア系アメリカ人社会」
金ジンスク「朝鮮の修身教科書におけるジェンダー規範の変容」
松本ますみ「宗教教育・公教育と中国ムスリム女性―イスラーム復興・
グローバリズムの中のジェンダー」
コメント 中條献

〇コンサート 17:00~18:00 津田ホール
「ハープと女性―没後50年にあたるアンリエット・ルニエ(1875-1956)を中心に
名手吉野直子が奏でる女性ハープ作品の数々」
司会・進行 小林緑
ハープ演奏 吉野直子

〇茶話会 18:00~19:00 101・102会議室

【報告要旨】
自由論題
部会A 105会議室 10:00~10:40 
山口(内田)雅克「『少年世界』に見る世紀転換期日本のマスキュリニティ表象」
博文館より、1895(明治28)年に創刊され、1933(昭和8)年まで刊行された雑誌『少年世界』を史料として用いる。本発表では、1895(明治28)年から、1910(明治43)年までを分析対象とする。それは『少年世界』が他の少年向け雑誌を販売部数で圧倒していた時期であり、日本が世紀転換期に国民国家として確立されていく時代であった。
本発表では、この時代の『少年世界』に、‘マスキュリニティ’表象とそのポリティクスを国民国家形成という歴史的な文脈の中で追っていく。ジョージ・モッセの指摘が的確に物語るように、こうしたメッセージには「理解しやすく明白なシンボル」が使用される。その点を考慮し、長編・連載小説などは分析対象から外し、挿絵、記事などを分析の中心に置いている。
読者である少年を円の中心に置き、どのようなマスキュリニティに関わるメッセージが送られたかを、五つの方向性から分類する。
① 教育的な論説記事
② 「遊び」の紹介
③ 父-男-軍人-偉人-ヒーロー 
④ 母-女-少女
⑤ 日本人と‘非’日本人
 ①は、『花實兼備』、『日本男児』、『平野次郎』、『軍人たらんとする少年』、『身體健全法』、『軍人の子は軍人』、『模範とすべきは武士家庭』といった記事に見られるものである。また乃木将軍や軍人からの質実剛健・質素といった教訓が「男子」と結合したメッセージも含まれる。
 ②には、「戦争遊戯」、「尚武的遊戯」「兵隊ごっこ」などの記事がある。遊戯の延長には「川中島合戦」があり、さらにそれは当時の戦争風景と重なっていく。
 ③は、少年に提示された具体的な「男性像」である。父親は男の見本であり、それは軍人の像と重なり、家族以外の軍人、立身出世した偉大な人物、皇族、さらには英雄的な武将へとイメージは広がる。「凱旋」、「兵卒時代」、「殿下ご奮戦」などの記事が登場している。
 ④は③の対極に置かれた「女性像」である。身近な女性である母親は「立派な男の子」を作る担い手として、「日本男児」などの記事にその姿を見せる。両性がそれぞれの特性を対照的に発揮するところに「美」が存在することが強調される。「裁縫科の勉強」、「ままごと遊び」などの記事には、しとやかな少女が描かれる。
 ⑤は、他民族、‘非’日本人の登場である。「朝鮮の幼年世界」、「父の出陣」などの記事に見られる共通の特徴は、中国人、朝鮮人の「マスキュリニティ欠如」の強調である。日本人の軍人の姿は長身で、洋服を纏い、髭を生やした精悍なイメージである。一方中国人、朝鮮人は丸みを帯び、女性化・動物化したものとして描かれている。
以上の五つの分類に沿い、マスキュリニティ表象の具体例を検証しながら、国民国家確立期におけるジェンダーの境界線の強調、モデルマスキュリニティの提示の中に看過されがちであるマスキュリニティのポリティクスとしての作用を可視化する試みが本発表の目標である。

部会A 105会議室 10:40~11:20 
マーシャ・ヨネモト「江戸時代初期の女性のマニュアル本に表れる女の身体観」
当発表は「近世日本のジェンダー空間」という研究プロジェクトの一部分です。このプロジェクトでは、いろんな「位置」で表現されるジェンダー概念やジェンダー関係について検討したいと思います。「位置」といえば、英語で言う「site」、つまり、具体的な「所=place」だけではなく、想像や行動が行われる抽象的な「空間=space」だという意味も入っています。たとえば、体、家、道は具体的に存在している場所と同時に抽象的な位置であるとは言えるのではないかと思います。このような「位置」で、人々はいろんな経験や知識を得て、アイデンテイテイーを徐々に創造していきます。やはり、ジェンダーはこの創造されたアイデンテイテイーの一部分であるといえます。江戸時代で出版された女性に関する、あるいは、女性の書いたテキストを資料として、近世日本のコンテキストで創造されたジェンダーアイデンテイテーを見て、ジェンダーの「時空」(英語で言う “space/time of gender”) というプロセスを調べてみたいと思います。ジェンダーの「時空」を中心にしながら近世ジェンダー史を検討すれば、ジェンダーに関する直線的、あるいは進歩的な解釈を避けることができると思います。または対立的なジェンダーの力関係(power relations of/in gender)の代わりにジェンダー化された力の関係 (gendered relations of power)を理解する事ができるのではないかと思います。今回の発表では身体としての位置について話したいと思います。特に、江戸前期に多数で出版された女性用マニュアル本で表われる身体に対するデイスクールに集中します。食べ方や話し方、礼節、健康の維持や病気の治療にいたるまで、身体の養生や経営が女性用マニュアル本の重要なテーマの一つである。ここでいう「女性用マニュアル本」とは、女性自身が目指す女性像についての百科辞典的な情報や知識を提供する出版物(往来物、節用集、重宝記、実用書を含む)を指します。このような本は、女性にとって適切とみなされていた行動の規範や理想のみならず、女性に必要と考えられた知識の基準をも示している。女性用マニュアル本に論じられている身体の視点から、ジェンダー言説とジェンダーイデオロギー、身分概念、家族構成を分析することができるのではないかと思います。

部会A 105会議室 11:20~12:00
野田恵子「女同士の親密な関係の不可視性に関する一考察―イギリスを事例に」
本報告は、十九世紀イギリスにおける「同性愛(homo-sexuality)」に関する法やそれをめぐる事件の系譜を追うことによって、二十世紀半ばまで不可視性の下に置かれていた女性「同性愛」という問題が、どのような歴史的背景の下に浮上してきたのかを問い、それへの新たな視角を提示することを目的としている。十九世紀後半の「同性愛」という概念の生成過程において、いかにジェンダーという変数が重要な役割を果たすことになったのかを具体的な出来事を通して明らかにすることによって、ジェンダー・セクシュアリティ研究などでたびたび指摘されている、女性「同性愛」の不可視性という現象の歴史的背景を検証する。
セクシュアリティをめぐる研究において、女性「同性愛」に関する歴史資料の不在やそれに伴う女性「同性愛」という現象の不可視性はたびたび指摘されている。一九八〇年代以降盛んになった「同性愛」を固有に扱った研究の大半が「同性愛」という名の下に、男性「同性愛」のみを扱ったものであることからもそのことは窺える。このようなジェンダーの視点への配慮を欠いた研究に対して、リリアン・フェダマンなど女性のセクシュアリティ研究者による女性「同性愛」の歴史研究が、一九八〇年代後半から九〇年代以降にかけて、特に英米圏において盛んになった。彼女らは、女性「同性愛」の存在を歴史的に検証するため、手紙や文学などの資料の中に女同士の「友愛(romantic-/passionate-friendship)」の痕跡を捜し求め、そこに現在へと繋がる女性「同性愛」の存在を見出そうと試みた。それまでのジェンダー・バイアスの存在するセクシュアリティ研究を鑑みる、女性「同性愛」の存在へ光を当てた彼女らの研究の意義は大きなものであり、ジェンダーとセクシュアリティが交差した「同性愛」という現象への新たな視座を提示するものであることは確かである。しかし歴史上、女同士の親密な関係が、男同士のそれのように社会的に問題化されず、その結果として、それに関する直接的な資料がほとんど残っていないこともまた否定のできない事実である。もし女性「同性愛」に関する歴史資料の不在とそれによる女性「同性愛」の不可視性という現象が否定できない事実であるとするならば、問われるべきなのは、なぜそのような事態が起こったのか、またそれはどのような出来事の効果によるものなのか、ということではないだろうか。
本報告は、従来の「同性愛」に関する研究が、主に男性「同性愛」をめぐる歴史的記述であった事の背景には、個々の研究者が持つジェンダー・バイアスの存在のみには帰着することができない、何らかの歴史的な必然性が見出せるはずであるという観点から、二十世紀に入るまで社会的に問題を形成し得なかった女同士の親密な関係が、二十世紀初めのある時期に「同性愛」というカテゴリーにおいて可視化されたという事実の背景にいかなる出来事の存在や効果が見出せるのかを、イギリスを事例に具体的な事実から描き出す試みを行う。その際に注目するのは、十九世紀末に性科学によって創出/流布された「同性愛」という概念の生成過程とその編成である。多くの「同性愛」研究が前提とする「同性愛」という概念自体が、そもそもどのような背景において生成し編成されたものであるのか、その内実を再検討することによって、女性「同性愛」の周縁化の構造を明らかにする試みの端緒を示すことができるであろう。

部会B 102会議室 10:00~10:40 
佐藤千登勢「『アメリカ型』福祉国家の形成とジェンダー―母親年金から要扶養児童扶助(Aid to Dependent Children)への移行」
 福祉国家の形成とジェンダーに関する近年の研究では、アメリカ合衆国における福祉国家の起源を、ニューディール期の1935年社会保障法の制定ではなく、1910年代を中心としたいわゆる母性主義者の活動に求める見方が定着している。それらの研究の多くは、1912年の児童局の設立、州レベルでの母親年金制度の普及、さらに母親保険プログラムに補助金を与えることを決めた1921年のシェパード=タウナー法の制定までをひとつの時代として捉え、福祉国家の揺籃期における女性の役割と主体性を明らかにするとともに、福祉の受け手である貧困女性とソーシャルワーカーを中心とした女性活動家の関係などを検討している。この時期に活動した女性活動家は、女性を「産む性」として特殊な存在と見なし、母としての役割を強調していたことから、否定的な意味合いを込めて母性主義者と称されているが、近年では母性主義者の思想的限界を指摘するだけでなく、彼女たちの言動が受容され、社会福祉政策として結実していった歴史的過程や当時の政治文化的な状況を考察する研究が主流になりつつある。
 本報告では、このような研究動向を踏まえた上で、従来、合衆国における福祉国家の形成の出発点と見なされてきた1935年社会保障法の制定を、ジェンダーの視点から再検討する。とりわけ、母性主義的なイデオロギーの下で1920年代までに州レベルで発展した母親年金(子供のいる寡婦への公的扶助)制度が、1935年社会保障法に盛り込まれた要扶助児童扶助(Aid to Dependent Children: ADC)の成立にいかなる影響を及ぼしたのか、その継続性と断続性を明らかにするとともに、合衆国における社会保障制度の確立においてジェンダーという要因がどのように作用したのか、次の3点を中心に論じたい。
 まず第一に、1935年社会保障法では、社会保険(失業保険と老齢年金)と公的扶助(児童扶助、老齢扶助、盲人扶助)という階層性を伴う「2つのトラック」を骨格とした制度が確立され、後者が州・地方政府による分権的な運営と受給者の個別のニーズに基づいた一般財源による福祉として劣位に置かれるようになった理由を検討する。なかでもADCの立案において主導的な役割を果たしたグレース・アボットやジュリア・レイスロップらに着目し、彼女たちが描いていたADCと現実の乖離を明らかにする。第二に、ADCの管轄官庁をめぐる問題で、最終的に児童局が排除され、新設の社会保障局(SSB)が運営に当たることになった点を検討する。SSBは社会保障法の制定後、社会保険への関心を高めるために、公的扶助の発展を阻止する方針を採り、需給水準の低さ、人種による差別、地域による運営上のばらつきなどの問題を放置し、州・地方政府の裁量性を大きく認めるようになった。第三に、1939年の社会保障法改正で老齢年金に遺族給付が導入されたことによって、ADCの受給者は夫が社会保険に未加入であった寡婦や夫と離婚した女性が大半を占めるようになり、「児童扶助」という名目でありながら、女性の婚姻上の「ステイタス」を反映し、受給者に強いスティグマを与えるプログラムになったことを明らかにする。

部会B 102会議室 10:40~11:20 
今井小の実「女性の社会進出と社会事業―新婦人協会とアメリカ社会事業の展開を通して」
報告者の関心は、社会福祉の分野における男性偏在の記憶を修正し、本来の社会福祉の歴史をとりもどすことにある。その巨視的な目的は、社会福祉のなかに潜むジェンダーバイアスの払拭である。本来、社会福祉は人権尊重の理念に支えられている。とすれば女性の人権が蹂躙されてきた歴史を問うことなく、未来の社会福祉のあり方が展望できるはずはない。しかしこれまでの社会福祉の分野では、わずかに先駆的な取り組みがあるのみで、女性史の業績と社会福祉史が交差する研究は置き去りにされてきた。報告者は女性史と社会福祉史の交差点にたって、主体者としての女性を社会福祉史のなかに位置づけ、その未来の福祉を展望したいと考えている。
そのために報告者は、女性の社会進出と社会事業(社会福祉の前段階)の発展の相互関係を追究し、両者の関係性がその後の双方の行方に影響を及ぼしたことを明らかにすることを研究課題とし、日本の状況を相対化するためにアメリカを比較の対象においた。それは日本の社会事業が主に男性の牽引によって発展してきたのとは対照的に、アメリカでは慈善事業から社会事業への発展に女性が大きく貢献してきたからである。たとえば友愛訪問の方法をケースワークとして体系化し、ソーシャルワーク(社会事業)の成立に寄与したM.リッチモンド、ハル・ハウスのセツルメント活動を拠点に社会改良運動に挺身したJ.アダムズは、誰もが思い浮かぶアメリカの社会事業の功労者であろう。その背景には、女性の社会的活躍の場が限られており、その専門性を生かそうと思えば、伝道か教職、そして社会事業の道に進むしかなかったという時代的制約があった。近代的な性別役割分業化が進むなか、女性たちは自分たちの道徳性、家庭性を強調し、社会事業の表舞台へと出ていったのである。しかし日本では社会事業の発展にかかわった人物として思い描かれるのは男性の顔ではないだろうか。
実は日本でも女性たちは戦略的に“女性性”を強調し、社会事業を社会進出の場として開拓する試みをしており、それはアメリカの活動をモデルとして展開されている。今回の報告では、すでに報告者が明らかにした大正時代に平塚らいてうによって設立された新婦人協会のモデルがアダムズのハル・ハウス(「新婦人協会とハルハウス」今井小の実『社会福祉学』第39-1号,1998.6)であったという事実を、女性の社会進出の舞台としての社会事業という文脈のなかであらためて捉え直し、アメリカの状況との比較を試みたいと考えている。なお、本研究は平成18年度科学研究費補助金(基盤研究C)によるものである。

部会B 102会議室 11:20~12:00 
須藤瑞代「近代日中女性交流―竹中繁(しげ)を中心に」
竹中繁(1875-1968年)は、『東京朝日新聞』初の婦人記者であり、1920~30年代の日本と中国の女性同士の交流において、特異な役割を果たした人物であった。なぜなら、彼女は当時中国で広範な読者を獲得していた『婦女雑誌』に日本女性の現状について寄稿する一方、日本の『婦選』や『東京朝日新聞』には、逆に中国女性の現状を紹介する記事を書いており、当時の女性の状況を双方向にレポートする役割を果たしていたのである。日中関係が悪化する中で、このような活動を行った女性は、ほかに例を見ない。
本報告は、この竹中繁の活動に焦点を当てつつ、当時の日中女性交流のあり方を考察する。特に、以下の三つの点に着目する。
第一に、竹中繁の言論活動についてである。竹中繁と中国女性との関わりは、これまで全くといってよいほど注目されていない。竹中繁に関する著作としては、わずかに、香川敦子『窓の女 竹中繁のこと:東京朝日新聞最初の婦人記者』(新宿書房1999年)があるが、ここでは中国の雑誌への寄稿や、日本の新聞雑誌に中国女性の紹介記事を書いたことについては触れられていない。繁は中国の雑誌にどのように日本女性を描き、逆に日本の雑誌にどのように中国女性を紹介しようとしたのだろうか。中国の『婦女雑誌』や、日本の『婦選』などを史料として内在的に分析する。
第二に、竹中繁の活動を通して、当時の日中女性交流の一側面を明らかにする。従来の日中女性の交流に関する研究は、日本に渡ってきた中国人女子留学生の研究がほとんどであった。日中双方の女性運動の相互関連性については、あまり明らかにされていない。繁は、1926年から1927年にかけて中国を旅行し、宋慶齢を含む中国の女性リーダーたちとも交流を深めている。この当時、自ら中国を歩き、中国の女性たちとの交流の機会を得た女性は数少ない。そこで、繁と中国女性との交流がどのようなものであったのかを検討する。
第三に、近代日本・中国におけるフェミニズムの機能について分析する。竹中繁の活動を通してみると、彼女のみならず、彼女が接触した中国女性たちにも、日中女性の連帯を模索しようという意志がみられる。それは、単に隣国の女性同士というだけの親近感に基づいたものではなかった。日中の女性は、それぞれ西洋からの第一派フェミニズムの影響を受け、その課題である女性参政権獲得などを共通課題と認識していたのである。こうした点をふまえ、当時日中の国家間関係が次第に緊迫する中で、日中女性の間でフェミニズムがどのように機能したのかを問い直す。近年国民国家とジェンダーを問題化する試みがなされてきたが、その新たな側面を考察することを目指す。

部会C 101会議室 10:00~10:40 
佐藤繭香「アイデンティティの表象―パレードにみるエドワード朝期の女性参政権運動」
1907年から1914年にかけて、イギリス女性参政権運動を主導した二大組織である女性社会政治同盟(Women’s Social and Political Union)と女性参政権協会全国同盟(National Union of Women’s Suffrage Societies) は、ロンドンにおいて8つの女性参政権運動のパレードを行った。パレードは、非暴力的な政治的行為であると同時に、時に社会や文化における「伝統を創造する」儀礼的行為でもある。何万人もの観客が見物し、出版物などでも報道された数々のパレードは、視覚的にも華やかな女性の祝祭であった。また、「働く女性(Working Woman)」、「サフラジェットの囚人(Suffragette Prisoner)」、「帝国の女性(Woman of Empire)」などの女性のアイデンティティを人々に提示する表象行為でもあった。パレードは、時代が進むにつれて、「働く女性」よりも「帝国」や「サフラジェット」というアイデンティティをより強調するようになる。その表象の変化は、運動の性格の変化を反映するものであり、1918年の国民代表法の性格を先取りしたものであった。1918年の法によって、イギリスでは30歳以上の女性で夫が地方選挙権を持つか、または自身が地方選挙権をもつ女性、そして、30歳以上で大学を卒業した女性にのみ選挙権が与えられた。すなわち、労働者階級女性は除外された。エドワード朝期の女性参政権パレードは、市民としてふさわしい女性像として「働く女性」を提示した。「働く女性」の表象は労働者階級と中流階級女性の結びつきを示すものであるはずであったが、運動の主導者である中流階級女性たちが国内よりも帝国へと目を向け、帝国の女性たちとの連帯を強めるなかで労働者階級女性たちの表象の意義が失われてしまったのであった。参政権運動におけるパレードの表象の変化の過程を辿れば、この1918年法の制限的な内容は理解に難くない。
イギリス女性参政権運動史においては、1918年の国民代表法制定に及ぼした影響に関して20世紀はじめの女性参政権運動の意義をめぐる議論が存在するが、その議論に対するひとつの答えをだそうとするものである。バナーや写真などの視覚史料と当時の出版物などの一次資料を利用し、女性のアイデンティティの表象がいかに変化したかを探り、当時の女性参政権運動の歴史的意義を再検討し、20世紀はじめのイギリス社会における女性と政治の問題を考える。

部会C 101会議室 10:40~11:20 
北原零未「フランスにおける女性政策、その歴史と転換」
ジェンダーの視点から見た場合、フランスは然程進んだ国であるとは言えない。フランス女性の解放はこの20~30年のことである。
フランスにおける女性政策は、第二次世界大戦終了迄、女性解放ではなく、如何に女性を抑圧するかが中心課題であった。しかし、21世紀に入りフランスは、労働条件の整備と男女平等の促進を図っている。
既に古代において、アリストテレスは女性の知的・肉体的劣弱を断言していたが、このアリストテレスの思想が中世フランスで蔓延・流行した。教会は、男性を誘惑し堕落させる生き物として女性を位置付け、男性に盲目的に従うことを説いた。一方で、聖母マリアへの崇拝を発展させ、母性は女性特有の価値であるとした。よって、出産が女性の基本的役割であり、夫の仕事は当然手伝わねばならないが、主体となることは許されなかった。
ルネッサンス期に入ると、ユマニスム思想が生まれ、個人と社会の改革が謳われるが、女性の置かれた状況は中世と変わらず、そればかりか魔女狩りの蔓延により、女性は、悪魔と結びついており、社会的不幸(飢餓・伝染病)の責任を取るべきであるとされた。
17世紀に入ると、男女間の不平等を自覚する知識人達が登場し、女性の教育の必要性や男女間の平等を説く論文が書かれるようになる。続いて、革命期には女性解放運動が一時盛り上がるのだが、革命後はむしろ状況が悪化する。1804年のナポレオン法典は、夫の権限と女性の法的劣位を強調した。革命後フランスの大きな課題の1つは、如何に女性の権利を制限し、劣位に位置付けるかであった。
第一次大戦から第二次大戦終了まで、女性は慰安の象徴として祖国への奉仕を強制され、また、家族制度の強化と男性家長制が強調された。
ナポレオン法典を基礎とする現行法は、戦後も長らく女性の権利を制限して来た。フェミニズムの高揚に伴い、女性の社会進出も進み、女性差別的法律は徐々に廃止されるが、法的な平等が完全に達成されたのは90年代のことである。しかしながら、21世紀に入り、フランスは特に労働の面から男女平等の達成を図ろうとしている。シラク大統領は「フランスは世界に先駆けて、労働面での男女平等を達成し、世界のモデルとなりたい」「職場における男女平等は結局経済力を促進することになる」と述べている。また、男女平等雇用や、育児休暇制度の整備、女性が働き易い労働環境作りなど、自らの不利になるような労働条件の法制化を企業側が政府に求めている。これらはまだ試行段階にあり、実現されているわけではない。また、必ずしも男女平等達成という理想の実現のみを目的にしているわけでもなく、そこには政治的力学が働いているようにも見える。しかしそれでも、フランスが労働面における男女平等の達成へ向けて本格的に乗り出したことは事実である。

部会C 101会議室 11:20~12:00 
櫻井悠美「古代ギリシアにおける女と薬草」
古代ギリシアにおける一般的な女性観は、ヘシオドスの『神統記』に見られるように「女性嫌悪」の思想である。前7~6世紀の詩人セモニデスの『断片』においても女性嫌悪がより明確となり、女は男に禍をもたらす悪しき存在として認識されていた。さらにギリシア悲劇の作品の中にも同様な女性観が窺われ、桜井万里子氏はギリシア悲劇作品の中に、「女性嫌悪」から「女性蔑視」への転化の傾向を指摘している。
また、プラトンの『ゴルギアス』にもテッタリア(テッサリア)の魔女が見られ、アリストファネスの『雲』の作品中にもテッサリアの魔女が登場する。女は禍悪とみなされ、魔女や魔術と関連づけられて記述されている。
本報告ではそうした思想を理解した上で、薬草の使用場面を例にとり、男女の関与の違いをジェンダー視点から検証する。薬草を意味するφα(/)ρμακουというギリシア語自体には、他にも毒薬や呪い・呪文といった意味が含まれている。しかし、男が薬草を使用する場所は主として戦場ないし陣屋が多く、戦士の命を救い、痛みをおさえる医療行為として肯定的に描かれているのである。ところが人間であれ神であれ、女が薬草を使用する場合には、全く異なる様相を呈している。その典型的な事例がオデュッセイウスを動物に変身させようとしたキルケーである。エウリピデスの悲劇作品『メディア』の主人公もまた、薬草を使用して男を誘惑した女として演じられた。前5世紀のアンティフォンの第一弁論『継母を毒殺のかどで訴う』でも、女は薬草によって男を殺害している。このように女が薬草を使用する場合では、男を誘惑する手段、男を殺害する手段として記述されているのである。
本報告では、このような個別の事例から、古代ギリシアでは女が薬草を用いる行為の意味が男とは別の意味をもつものとして記述されていることを問題としたい。確かに薬草に関する知識は男の方が女よりはるかに豊かだったことは事実であり、それが医療行為と結びつけられたのであろうが、女が薬草を用いる時には、なぜそれが男の非難の対象行為(男を誘惑する、男をだます、男を殺害するなど)として記述されるのかを明らかにしたい。

部会D 津田ホール 10:00~11:00
パネル「『生』と『声』にみる台湾の植民地身体」
パネリスト 呉佩珍/李文茹
コメント 吉原ゆかり

パネル趣旨説明
台湾の植民地身体において、いかなるジェンダー的なメカニズムが働いてきたのか、働いているのか。このパネルの目的は、戦前から戦後にかけてのそれぞれのメカニズムを考察すること、そしてジェンダーの視点から台湾における植民地的な経験とその経験をめぐるさまざまな記憶の現在を問い直すことにある。
東アジアの近代史を語る際、「植民地」は重要なキーワードとなるのと同じように、ジェンダー史から台湾を考える際にも、その課題は避けては語れない。また同文同種の相似性による「同化政策」は台湾のアジアの植民地体験の特徴であり、実際、結婚による同化政策も採用されていたため、ダーヴィニズムなどの優生学をめぐる諸言説を検討する必要がある。明治初期から輸入された優生学言説は植民地支配にも一役を担っている。台湾植民地文学を見る場合、血統論は同化政策を大きく左右する力を発揮している。たとえば坂口れい子の「時計草」の中に政策結婚を通して、後進的な原住民文化を統合しようという描写が見られる。この純血論はその後、台湾における日本語作家にも多大な影響が見られる。これらの作家の作品において、純血な日本人対不純な血統をもつ日本人=台湾人という両者の区別はやはり優生学の言説の背後にある血統論によって大きく左右されている。結局、優生学言説は台湾の植民地支配において、これらの文学作品をとおして、そのメカニズムを明らかに見て取れるのであろう。
また、植民地時代における最大の原住民による抗日事件を語る際において、ジェンダー視点によって、霧社事件の様相も多様的になっている。今まで、男性によって語られてきた霧社事件の歴史は如何にも皮相的でかつヒロイック的なのである。また女性の語り手によって語られた霧社事件にも常に抗日した人々をより英雄的にその支配されてきたことによって欠落していた男性性を引き立てようという企てが見て取れると思われる。しかし女性たちの語り手によって自らの霧社事件経験を語らせることはどうなるのだろう。いかなる霧社事件史が現われるのであろうか。
いままでジェンダー的な視点によって検討されてこなかったそのパースペクティヴによって新たな植民地史を写りだそうとするのはこのパネルのもう一つの目的である。

パネリスト1.呉 佩珍
「曖昧な「血」の境界線―1930-40年代における日本の優生学言説と植民地台湾」
明治初期、ソーシャル・ダーウィニズムの影響のもとに、日本が「人種改革」を提唱しはじめ、たとえば、人種間通婚をとおして、日本人種の劣等性を改善すべきだというような言説もこの時期において形成された。しかしながら、日清戦争と日露戦争を経て、このような優生学言説は完全に逆な方向に変わっていた。連続として二つの戦争の勝利につれて、日本人がすでに当時において最も優秀な人種の一つだという言説の流行によって、日本の優生学に変化をもたらした。さらに、一九三〇年代後半において、ドイツの優生学の影響を受け、優秀な人種である日本人が、「純血」を保つため、他の劣等な種族と混血してはいけないという主張も、現われ始めた。
この多様化として現われていた優生学言説も、実際に日本の植民地支配に多大な影響を与えていた。特に日本の植民地における日本の優生学言説と同化政策との間の矛盾は、植民地の皇民化運動時期に、端的に現われた。1930年代後半から、台湾の皇民文学には、「血」という主題は、多く見てとれる。たとえば、「内地人作家」である坂口れい子と庄司総一は、日台「混血児」の描写を借りて、当時に台湾と日本との間の調和していた関係を強調することを図った。しかしながら、作中の「混血児」は、最後、かならず自分の「日本人アイデンティティ」に忠誠を誓い、それを守りとおそうとする。それに対して、同時期の台湾人作家、たとえば、陳火泉と王昶雄が描いた主人公たちは、「オセンティック」な日本人になろうとする一方で、自分の「日本人あらずの血」という問題を悩んでいた。「血」という問題をめぐって、「混血児」および「被植民者」が立ち向かっていたディレンマが上記の作家たちの作品からよく見てとれる。
本発表の目的は、1930-40年代における台湾植民文学における、「血」と関係する作品を検証し、また当時、日本における優生学言説と植民地の同化政策との間の矛盾を解明することにある。

パネリスト2.李文茹
女性の声と口述歴史との出会い-霧社事件言説からの一考察
台湾では多様な歴史的な言説の登場は1985年、解厳令の公布までを待たねばならなかった。それまでの1949年から1985年にかけての期間は戒厳時期と呼ばれ、一般市民の言論の自由が法的に制限され、与党に不利をもたらすような言説はほとんど禁止されていた。90年代の半ばごろに入ってから、口述歴史の採集が次第に増えており、それに多民族社会への意識も高まるなか、台湾先住民関係の口述歴史にスポットが当たり、とりわけ1930年に発生した、霧社事件という先住民族による日本人の大量殺害事件をめぐるものは多く取材されている。また同時期に日本でも霧社事件に強い関心を示している。
ジェンダーの観点による口述歴史では、花岡次郎という事件の主要関係者の妻にあたる、オビン・タダオこと花岡初子はよく取材されている。例えば『風中緋櫻──霧社事件の真相及び花岡初子の物語』(鄧相陽2000)、『台湾祕話 霧社反亂?民衆証言』(林えいだい2002)などがある。しかしそれらのなかでは女性という歴史の体験者というより、事件の直接関係者である男性を代弁するかのような部分は多く見られる。一方、『部落記憶-霧社事件的口述歴史』(クム・タパッス、台湾:2004)では、前者より多様な女性としての体験が記述されるものの、随所に貞操や母性を強調するような言説が見られる。
もし従来の男性中心的な歴史と異なる視点を提供するのはジェンダーが課される、期待される役割の一つだとすれば、男性の体験を代弁する行為にせよ、女性性を強調することにせよ、それらの言説に女性の「声」を歴史の彼方に置き去りにする可能性が潜在するのであろう。一方、歴史を語る行為は個人がおかれる時代、社会的立場にも深く関連する。したがって、なぜ男性の体験が多く語られるのかを考察する際、先住民が現在、おかれる社会的な立場を議論に入れる必要があるように思われる。
本発表は、エスニシティとアイデンティティとジェンダー、この三者が絡み合う中で、女性の「声」は果たして従来の男性中心的な歴史的言説を乗り越え、歴史の主体になりうるのかについての試論である。つまり、ジェンダーを視点に据える口述歴史は果たして男性中心的な歴史観を打破できるのかという問いを、植民地台湾をめぐる歴史的言説‐霧社事件を事例に考察するのは本発表の目的である。


シンポジウム 津田ホール 13:45~16:30
テーマ 「文化・権力・ジェンダー」

司会 小檜山ルイ
シンポジスト 安武留美「ジェンダー規範と世紀転換期のアジア系アメリカ人社会」金ジンスク「朝鮮の修身教科書におけるジェンダー規範の変容」
松本ますみ「宗教教育・公教育と中国ムスリム女性―イスラーム復興・グローバリズムの中のジェンダー」
コメント 中條献

シンポジウム趣旨説明
本シンポジウムは、主流社会に対して周辺化された、あるいは「他者」として位置づけられた文化集団において、ジェンダーがどのような意味を持っていたのかを、家族、規範、教育、宗教あるいは広く文化の面において考察する事を目的としている。移民、帝国支配などその契機は多様であるが、錯綜する支配/被支配の関係のなかで、「他者」と位置づけられた集団のジェンダー関係はどのような変容を遂げたのか、あるいは遂げなかったのか。主流あるいは植民者の文化に同化を迫られる移民やマイノリティあるいは植民地の人びとと同化を迫る側とのあいだでおきる価値のせめぎ合いのなかで、ジェンダー規範はどのように作用しているのか。周辺化された「他者」のジェンダーが主流社会のジェンダー規範に影響を及ぼしてはいないか。このような問題を、アメリカの日系人社会、日本支配下の朝鮮、中国のマイノリティの事例研究から比較検討する試みである。
本シンポジウムでは、地域も支配被支配の関係も異なる人々を対象とする三つの報告を比較検討するために、具体的な歴史的事例に関しては、三者三様のものとなるであろう。本シンポジウムの目的は、具体的な歴史的事例に関する考察だけではなく、世界史的視野で比較検討する事で、いわゆる少数派集団や植民地の歴史、あるいは文化と権力の関係の歴史を、ジェンダーの視点によって読み替える方法を考える機会を提供する事である。

コンサート 津田ホール 17:00~18:00
「ハープと女性―没後50年にあたるアンリエット・ルニエ(1875-1956)を中心に
名手吉野直子が奏でる女性ハープ作品の数々」
司会・進行 小林緑
ハープ演奏 吉野直子

プログラム
徳山 美奈子: オリエンタル・ガーデン(1998)
Minako Tokuyama: Oriental Garden (1998) .

H. ルニエ: いたずら子鬼の踊り
Henriette Renié: Danse des lutins

H. ルニエ: ピエス・サンフォニック[交響的小品]
Henriette Renié: Pièce symphonique

H. ルニエ: 黙想
Henriette Renié: Contemplation

F. リスト(H. ルニエ編): ため息
Franz Liszt (arranged by H. Renié): Un sospiro

G. タイユフェール: ハープのためのソナタ
   Germaine Tailleferre: Sonate pour harpe
   Allegretto
   Lento
   Perpetuum mobile

ジェンダー史学会公開シンポジウム
ジェンダー研究における文学と歴史の視座:その協同性をめぐって

コーディネーター:石川照子
報告: 江上幸子 近代中国の「新しい女性」言説とモダンガール・丁玲
報告: 野村育世 大姫・乙姫考
コメンテーター: 河添房江・森岡実穂司会: 池田忍
2006 年6月25 日(日) 13:00~16:30
中央大学駿河台記念館280 室
〒101-8324 東京都千代田区神田駿河台3-11-5 電話 03-3292-3111
交通アクセス JR 御茶ノ水駅・地下鉄千代田線新御茶ノ水駅徒歩3分
http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/kinenkan_hp/map.htm
参加費:会員と学生・院生 500 円 非会員(学生・院生を除く) 1000 円
お問い合わせ先 :ジェンダー史学会
〒192-0393 東京都八王子市東中野742-1 中央大学経済学部 長野ひろ子研究室気付
E メール:genderhistory1@khh.biglobe.ne.jp Fax: 0426-74-3425
ホームページ:http://www7a.biglobe.ne.jp/~genderhistory/

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